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仮死状態の日々(エッセイ)


劇団ロオル派生プロジェクト
LORE.p First project 
【夜半の月】
の上演、配信、物販などの発送、各方面への事務手続き等等を終えてから、私は仮死状態に入っていた。


LORE.p【夜半の月】に賭ける思いがあり、
それに向けて魂を燃やしていて、
その行き場を亡くしたから……という簡単な理由ではない。

単なる燃え尽き症候群だったらこんなに傷む事はない。

このひと月というものは自意識との苛烈な戦争で、演劇公演を成功させるという目的を達成したが故に暴走し着火しまくる炸裂弾にのたうち回っていたのである。


2020年3月以降2021年5月の【夜半の月】公演までおよそ1年間、舞台演劇の活動をしていなかった。
出演予定だった公演も感染症の流行による延期や中止の憂き目にあい、
また下北沢すずなり横丁でBARのオープンに漕ぎ着くなどして、今までの生活が一転した。

そもそも、
演劇のプロを志してからただの一度も、
1年間舞台公演に出演しない、という日々はなかったのである。
常に泳ぎ続ける回遊魚の如く、スケジュールの空白は死の宣告とでも言うように必死にスケジュールを埋め続けてきた。

それを2020年はすることを辞め、

全てを2021年5月の【夜半の月】に賭けた。

今までの《動き続ける美徳》から《ひとつをこだわりぬく美徳》への挑戦だった。


結果を言えば、
こだわり抜く努力の仕方を覚え、
色々な方面で手応えを得た。


次の企画公演はまた来年5月とおよそ決まっている、
新たな企画に向けて発進、
と、
前向きに行くはずが、
仮死状態へと進んでしまったのは、
公演を終えてでも《存在意義》を見出しきれなかったからである。

【夜半の月】の上演にむけ、
脚本を書き、
演出として作品を研磨し、
女優として本多一夫氏と共演し、
制作として事務作業をして、
《演劇家としての本山由乃》の価値を確かめたかった。


作品の評判も上々、
キャストからもとても素敵な感想をいただけたし、
本多一夫氏からも今後へのエールをいただけた。

それでも《演劇家としての本山由乃》は存在意義を見出しきれなかった。
1年間の潜伏期間で失いかけていた女優・演劇家としての存在意義を確かめきれなかった。
自らの意思で1年間活動を控えたのにも関わらず、
意義の消失に脅かされて、それが【夜半の月】を終えて暴発してしまった。

自分自身の中で、
作品に対して反省点は多々ある。
制作面でも改善点は山ほど。
女優としての今回の出番は少なく、
主宰としても周りの大人たちの助けがなければ成り立っていない。
自己分析に伴う自己否定はどうしたって纏わりつく。

更に公演後、
他の素晴らしい作品や女優俳優を観る機会を多く得た事により、
劣等感にも苛まれ、
演劇家であると宣言する事が恐ろしく、虚栄のような気になり肩を窄めて歩くようになる。


【夜半の月】は無事に終える事が出来たのに、
それによる評価もあったのに、
自意識と自己否定がそれを上回るほど肥大してしまい、
炸裂弾が思考や心を爆散させて、
このひと月、私は何度も死んだ。

蘇生できるから仮死状態なのであって、
蘇生したからこの文章を書いている。



時間は無常にも平等に過ぎていく、
立ち止まって自分の中で苦しんでいる間に他は先に進んでいる。

蘇生するには、
自分自身の現在を認めるしかない。
自分自身の現在、改善すべき点の多くある伸び代豊かな現在、演劇家としてもっと頑張れる余地がある現在である、と認める事が出来るまで長い時間を要したが、

やっと蘇生が叶い、
ひと月にわたる仮死状態の日々は終わった。

そして、
こうして文章にまとめ昇華しようとしている。

蘇生したばかりはすぐ呼吸が止まりがちなので、皆様にはお手柔らかにお願いしたい。


演劇家としての本山由乃の存在意義を見出す事を諦めた訳ではない、
見出すための次の公演にむけて歩き出そう、と思い始めたところなのである。

《演劇家としての本山由乃》はここが良いところだよ、という感想やエールは随時受け付けております。
優しい言葉をかけてもらえると喜びます。
しあわせな感想は教えてください。
応援の言葉は生きる理由になります。

ていうか、世の中の表現者はみんなそういう事と常に戦ってるんだから、仮死状態になってる暇あんの?て感じですが、

改めて、
今後も様々な活動を勢力を尽くして参ります。
変わらぬご愛顧をどうぞ宜しくお願い申し上げます



夢に別れを告げたれば
夜半の月こそ恋しけれ
儚き憂き世に縁あらんと

仄かなりし月影を
咲く言の葉と有明に見ゆ

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