『風景と声』 地図から表象する—試作エッセイ
迷子になってしまった。注目しようとする何かと自分との結ばれた位置関係。そのとりわけ漠然とした何かを、言葉によって描写しようとした時に、自分が何を捉えようとしていたのか分からなくなる事も少なくない。それまでの座標と広がっている対象との距離を見失っては、本当に帰れなくなってしまう事もある。そもそもあらゆる当てはまり感(ドンピシャ感)というのはマッピングの蓄積から発生する。その時出来ていた(場合によっては無意識な)地図によって示される表現との関係によって現れるものだ。
言葉では表せない!!という様な経験は誰しもしたことがあるのではないだろうか。あれの代表的な例は風景の問題である。風景を描写するとなったとき、その場所や音、自分自身がその場所にたどり着いたすべての記憶に対して応答しなければいけないような気になって億劫になったり、あるいは直感的にスラスラっとかけてしまうこともある。その葛藤の中、彷徨っては塞ぎ込まれしまったあらゆる描写の可能性について。わたしは言葉と言葉の外を横断しながら描写する事を要求される風景という恣意的な対象に向ける妥当感、あるいは正常/異常という判断を切断し、風景とともにある様々なる声を拾い上げる方法として地図という形態を提案する。
いきなり説明を始めてしまうのは仕組みに早急である。まずは地図として制作してみたものがあるので、早速そちらを見てもらいたい。
O{陳列される、規則的に陳列される。その意味でも属性が定義される。その上間違いなくポータルを持っている、これは建築の成功とされる。夕方。関係なく銀行になった。レストランになった。役所になった。工場になった。お母さんになった。寒かった。暑かった。1日は24時間だった、一部。コンビニエンスストア。夜の方が明るい。中本。ご自由にお使いください。新商品。ベストセラー。定番。駐車場、大中小無。山崎フジ敷島。おでん。レシート。信号の先。
f[数は10万以上である。皆で水を与えよう。比較的有名な声。数字がもらえる。例えば月曜日の認識されるものは別の月曜日の実体を知らないが基本的な部分に違いはない。曜日と認識される多くの場合は居住との位置関係が結ばれている。代替。向こう側にあるのが見えるときの近さ遠さ。近所にできるらしい。ようやくか。補えない便利格差。炎上。増量。]}
F{全く何もかもが便利を装った、あらゆる交換もその簡単さでは全く匿名になりえるのではないか。新しい三角、新しい三角を作ったに違いない。国旗より流通した模様から今となってはこの場所こそが故郷と呼ぶものもいるらしい?誰かの思い出になっている。夏の日差し。雨。雪。初めての遠い場所。外側の土地性が共通する、洗練の外にある発想で。こんなにもつまらない横顔も中々ないだろう。忙しなくならざるを得ないスケール。ただそれすらも集合的に便利である。実は夜型。炎上した、家が火事だ。だとしたら大変なことだ。記憶。
f[振り返ったらよく分かった。その通りだ。風がコンパスになるようだ。わあいやったね。とはいえ大した理由が無い。しかし実際に線で理解した段階では完成されたと思うかもしれない。それくらいに適応する対象である。はっきり言ってありがたい。行き来。いつの間にかなくなっていた。]}
配置「近所にできるらしい。ようやくか、でもはっきり言ってありがたい。夏の日差し。雨。雪。初めての遠い場所。いくつかの記憶。国旗より流通した模様から今となっては、この場所を故郷と呼んでみるなんていうのもいいのかもしれない。信号の先。向こう側にあるのが見えるときの近さ遠さ。実は夜の方が明るい、夜型。夕方。関係なく銀行になった。レストランになった。役所になった。工場になった。寒かった。暑かった。1日は24時間だった、一部。駐車場、あったりなかったり、だったり違ったり。洗練とはまた違うのに同じが共有されてる。こんなにつまらない横顔も。新商品。これは定番。陳列される、規則的に陳列される。その意味でも属性が定義される。あの人は月曜日、あと水曜日と土曜。曜日と認識される多くの場合は居住との位置関係が結ばれている。きっと別の月曜日と基本的に違いはないとされてる。振り返ってよく分かった。間違いなくポータルを持っている。これは建築の成功とされる。新しい三角も作ったに違いない。全く何もかもが便利を装った、あらゆる交換もその簡単さから全くの匿名になりえるのではないか。そんな皆で水を与えよう。数字がもらえる。ご自由にお使いください。代替。おでん。いつの間にかなくなっていた。新商品。定番。誰かの思い出になっている。夏の日差し。行き来。あの人は月曜日、あと水曜日と土曜。曜日と認識される多くの場合は居住との位置関係が結ばれている。夜の方が明るい。雨。雪。風がコンパスになるようだ。その通りだ。はっきり言ってありがたい。おでん。いつの間にかなくなっていた。初めての遠い場所。誰かの思い出になっている。新商品。定番。忙しくならざるを得ないスケール。あらゆる交換もその簡単さから全くの匿名になりえるのではないか。ただそれすらも集合的に便利である。全く何もかもが炎上した。家が火事だ。だとしたら大変だ。その簡単さでは全く匿名になりえるのではないか。コンビニエンスストア。」
(制作者:わたし)
地図の展開
ここから実際どのような描写が可能なのかをいくつかの人物に趣旨を説明し実際にこの製図した地図を自由に参照、場合によっては引用してもらい風景を描写してもらった。
1人目
「そこが遠くにあるばかりか、僕が近づこうとするとそれとなく遠ざけられた幼い頃の記憶から、見つけると何の持ち合わせもないのについ入ってしまうのだ。手前側と道路を挟んだ向こう側に二つあってそれぞれ行き来して買ったり買わなかったりしてたら時間が過ぎている。そういうことをしていると途端に行きたくなくなることがあって、それは多分諦めみたいな話なんだと思う。それもバカバカしい話だが、とりあえず一年間ほとんど立ち入らないこともあった。次の夏が来た時にどうにも暑くてどうしようもなくフラッと入って買った冷たい紅茶が妙に爽快だった。別に関係ないのかもしれないけど、そういう体験が何となく体に残っている。」
(利用:磁石と名乗る者)
2人目
「いや、ありがたいよな。なにせ近所でしかも近すぎず遠すぎずでさ、なんか結局、無性にみたいなのあるじゃん?アイスとか炭酸とか何でもいい、本当に何でもいい、とりあえず無性にみたいなのが俺は大事。何でもいいんだ。」
(利用:無性な者)
3人目
「キャップを開ける。ボトルの方を蛇口に傾けて水を注ぐ。飲む。これを繰り返して、飽きたらそこに捨てに行く。自分の中での遊び。そこではじめるのが一番飲むのに集中ができる。何となく決めたルールは簡単で、まずそこで水を買って、一口飲んだら辺りに思いっきり捨てる。そしたら適当な蛇口を見つけて飽きるまで水を飲む。水を飲むだけじゃなくて歩いたりもしてる。ちょっと走ったり、顔を濡らしてみたり、でもできるだけ大きく飲む。たくさん。サラサラの塩とグラニュ糖も持っていく、これは水中毒予防。なったことないけど。それも手に握って投げると気持ちがいい。塩をたくさん口に入れてみた事があるけど、これは辛かった。つらいしからい。しょっぱい。そのときしょっぱいのは嫌なんだって分かった。取り敢えず水を飲んでいると、水の声が聞こえる。その声に従っていると綺麗に振る舞えると思う。明らかな形で振る舞える。」
(利用:水を飲む者)
4人目
「振り返ったら変わってるみたいな事がここで通用しない事が私は気持ち悪くて、ずっと内側ばかりで、そういうのは、共有されたいと思わない。だから手前で待っている。みんなが終わるまで。ただマシだって事でそこを選んでいるのであって、青が赤になってたみたいな単純さが好きな訳ではないと思う。そういう記憶から線が取り除かれるくらいに簡単なのが耐えられないからせめて手前にいる。
その便利な安心さとか、わたしは1人だとよく分かってしまうと思う。もしそういう垣間見る隙が生まれるのだとしたら。私は全くの匿名より誰かの思い出を信用してしまう、ので、誰かでありたいけど思い出みたいなものに見切れないようにする。残酷な見通しかもしれない。」(利用者:信号に立つ者)
5人目
「神経が外にあるだ%届かない糖なら噛み砕いても良いのよ%そしたらすぐに溺れさせる事もできるし*このあわない形どうにかなるかも%洗練とはまた違うの*建築の成功だったり違ったり%代替%さあ幻が挟まっているよ*破裂して目が不和に%気をつけてください%緑/青*爽やか%便利な陳列にしますからコンパスをはめますね%風の通りが良くなった%あんきよ噛んで*あんきよ噛んで%行き来痛いのわかるけど*日差しよ」
(利用:歯医者)
6人目
「程よく圧迫された外耳から漏れるほどの音量。こうやってまるで関係ないみたいに歩いて散策するのが習慣になっている。黙ってスタスタ歩いていると、何だか内省的に見えるのかもしれない。ただ実際はこんなにふわふわと軽い音があるのかというほど軽くて、もはやその音を捉えられているか分からないほどの謎ユニットソングが流れている。日本語っぽいが日本語なのかも分からない、軽すぎるから。ただ決してこれはチープだというわけではないのに、どうしようもなく軽いのだ。という驚きをもった感想が知られることもなくそこに立ち寄ってそれっぽい飲み物とそれっぽい菓子を買う事ができる。もちろんポイントカードは出さない。レシートもいらない。」
(利用:散歩者)
7人目
「ぼくはとりあえずここで待っておかなければいけない。雨だから家から迎えが来る。だいたいこういう日は待っているあいだにはお金を使っていいから、いろんな棚をまわるけど、そうするとじぶんが小さい奴だから、買わずにずっとみてるから見られる。と思う。それはイヤだから雑誌のところで立ち読みしてると前注意されたから、本当はここで待ちたくない。ただその日は雨だったし、ほかに店もなかった。外の小さい屋根の下で待ってると家に帰ってから少し怒られた。だからイートインの場所があるコンビニを見た時、自分の所もできたらいいのになと思った。」
(利用:待機する者)
8人目
「交通整理もしている。風を分けられるからだ。ただ制服が微妙に分厚くて満足できない分をこうやって別に分けている。具合のいい人の数はかえって風の反応を見るのにいい。足元を捲るように跳ね返った風が拡散している。店から出てきた人達はみんな思い出したかのような反応をして、その瞬間を垣間見ることができる。あれは風を分けていないから起こることだ。なんて面白いんだ。小さい頃からずっと走り回るより、良い場所を見つけて寝転ぶのが好きだった。その頃は風を嗅ぎ分けていた。誰かが動いているのがわかる。特別な技術でも何でもなく、ただ風が変わったり分けられていくという事を知っているので誰かがいることがわかるのだ。そうやってじっとしてると次第に単調だなと思いはじめ辺りを見るとやはり誰もそこにはいなくなっているのだ。この事はまだ誰にも話した事がないのだけれど。」
(利用:風を分ける者)
9人目
「無性にチーズが食べたい。ゴルゴンゾーラの事です。こういう欲求のしこりのようなものは長引くことを知っています。今朝コンビニに寄ってカマンベールがありましたから、取り敢えず買ってしまおうかと迷いましたが、こういうところは高いですし、わたしはそもそもそれを求めていないはずです。ええ、やはり高いという事もまた尾を引いて後悔する事を知ってますからそこは立ち去りました。お昼時には好物がいくつかありましたね、でももちろんゴルゴンゾーラではなかったですから、極端ですが私には関係がないとさえ思いましたね。もちろん食べました。美味しかったです。でもそれは例えば、どうしてもあの人ではないといけないみたいな事ですので、同じ好物でもこれはまた別の軸があるんです、とっても個人的な。それにやっぱり週末がいいんじゃないかと思うんです、それもまた別の軸の話でね。もっともこれは単純です、存分に楽しむなら週末なんじゃないかと!私はこれに関しては誰よりも執念深いと言えます、具体的に何もかも覚えていますよ!かつて私がそれを買い求めた日時、店の名前、会計した店員の顔まで!」
(利用:チーズが食べたい者)
10人目
「外側の焦ったさが何よりも環境の音を大きくしてくる。私は斜めに溶けて早速誰よりも早く粘りながらへたばり歩く。いらっしゃるいらっしゃる、入店は速やかに行われる。わたしはいつの間にか揚げられていた。うわぁぁあ〜〜。びゅいんと飛び出すと勢い余ってドアガラスにくっつく、散歩は楽しい。満点の緑に戻って転がれば勝手に撫でてくれる。途端に線になったので、裏切り者!と軽蔑する。色付き看板をこの距離から見つめて捻ってあげる。思い出す。昔はところどころしっかりと丸くて大きかった。曲線の端と端をそれぞれ繋げて、それだけの期待を伸ばしたり隠したりしていくらでも遊ぶ事ができた。すっかり現代的になった。
コンビニエンスストア、溶け。」
(利用:溶けしゃ)
制作した地図は下記の条件を基にして分類、配置された。
配置の分類と装置関係についての覚書
地図を製図するにあたっての位置関係というのは配置の関係でもある。とりわけこのようなテキストで構成される風景の地図情報においては、あらゆる要素の配置と地図的な装置(効果)について整理される必要がある。
配置されるものの分類として[O=オブジェクト]と[F=座標導出装置]というものを設定する。
オブジェクトとはそこで注目されうる物体や状況、可能を設定する要素である。
導出装置とはほつれとも呼ばれる。ほつれが配置されることにより、製図を解釈するものとの位置関係がその者自身の結びによって示されていく、解釈者自身の現在地の導出が起こる。ほつれの例としてとしては、概念や構造的な問いかけなどが挙げられる。(指定される条件が一つ。これらの配置は私のものではなかったということが同時に示されるような非人称の形でなくてはならない。)
また、[f=ほつれ≒記号化]は抽象度の状態を指すこともある。オブジェクトの表現が具体的でないというのは、地図の普遍性の確保においてそこにほつれ表現が必要であったという場合である。
配置されたオブジェクトとほつれによって解釈者ないし利用者は物語や理屈を地図と結んで描写することが可能である。出来上がった描写を風景とする。
装置には、発見される装置と、遡行的に理解される装置がある為、その個別の関係については明示しない。
それぞれの結び
地図という装置が十分に働けばそこには既にいくつかの結びが現れている。
語りはあらゆる装置を反復してくれる、ときにそれ自身がほつれにも結びにも誘ってくる。また、持ちうる理由は必ずしもその表面に立ち現れてくれない。それは垣間見るかのように理解されたりする。読まれる側からすれば、はだけてしまった様な気恥ずかしさがあるかもしれない。
報告されたいくつかの描写が示したのは、その地図装置の働きである。そこに地図や風景の働かせた痕跡を見つけられると思う。わたしがそれを見つけたとき、幾つもの現実を受け取ってしまったように思われ戸惑ってしまった。全く取り留めのない世界を覗いただけではなく、地図の中には既に声が織り込まれてしまっていたからだ。
(利用者:わたし)
文:松浦朋洋
劇団ケッペキ
2024年度新入生歓迎公演『↗ヤジルシ』
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