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自分以外も意思を持って生きているという事実は未だに信じ難いものとしてあります。母がいつもは使わない「あたし」という一人称をこぼした時、私たちはスーパーのお肉売り場にいて、明かりはオレンジ色でした。私は生まれる前から父と母の娘であり、姉の妹でしたが、父と母は以前私の父と母ではなかったし、姉もかつては姉ではありませんでした。自分の知らない思い出と、自分のいないホームビデオは、生暖かい血縁越しのフィクションとして存在しています。

下宿が始まってから、自分の言葉が自分一人に帰属するようになり、それに伴ってますます他者が他者になりつつあると感じます、つまり自分以外の人がその人なりに生きていることの理解に実感を持ちにくいということです。自分なりに愛してはいますが、それは頭の中にいる私自身を愛していることと何が変わらないんだろうと思うこともあります。孤独とまでは言えないけれど、うっすらと寂しいような気はします。それを寂しがるのもやめたいけど。

みっともない気がしてしまうので自分の話ばかりしたくないですが、エッセイってそういうものですか。そうだといいな。あまり明るいオチでもないけど私の生命についての所懐はそのようなものになっています。同じような人がいたら一緒に花を買いに行きたい。花は生命としてかなりきちんとしているし綺麗だから。チューリップとか。だから花瓶を用意して待っていてほしいです。


文:前川花鈴

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