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活動休止と太陽劇団(Théâtre du Soleil)でのインターンに際して、主宰より


主宰より

今でも、ふとした時に夢なんじゃないかと思います。
私は今、カルトゥシュリー(彼らの劇場)に寝泊まりしながら、太陽劇団の一員としてクリエーションに参加している。心の底から求めていた彼らの集団創作の方法を目の当たりにし、数々の美しい瞬間に心を振るわせ、アリアーヌ・ムヌーシュキンと彼女を支える素晴らしい劇団員たちの偉大な背中を追いかけている・・・、
”あの時の自分”からしたら、到底信じられない日々を、私は今過ごしています。

2021年に東京芸術劇場で太陽劇団の映像作品を上映する企画があり、
そこで彼らの活動と作品を知って以来、「これが自分の求める演劇であり劇団であり劇場の姿だ!」と強く触発され、自分の活動における一つの大きな指針として太陽劇団の存在があり続けました。

私の作品における主要なテーマとしては「アジアにおける大日本帝国の罪」や「近代化の功罪」などがありますが、それらの問題が私たちの現在とどのように呼応しているかという点が私にとって非常に重要な力点となっています。
そのため、政治を扱う上での複雑さや、私たちの歴史がもつ不可逆的な悲しみと苦しみ、そして、それらが現代にもたらしている深い断絶。私が芸術を通して、その問題に取り組み、現在を生きる”私たち”の人間的な回復を試みようとする時、その深い断絶を乗り越えるための〈大きな主体性〉が創作を包括するものとして必要でした。
彼らの集団創作という手法や劇団の体勢、劇場の構え方が示す〈太陽劇団の主体性〉は、国や宗教、人種、性別などを越えて文字通り手を取り合っていて、見事に私の考えるそれを体現していたのです。いわば〈全人類的な主体性〉に到達し得る可能性と輝かしさに溢れていました。

そして、実際に彼らの集団創作を目の当たりにして、
私は自分が予想していた以上のものに出会い、改めて深く感動しました。
詳しいことを書き連ねるには紙面が足りないので難しいですが少し書いてみますと、
集団創作のために俳優たちは、一人一人が自ら資料を調べて知識を蓄え、即興のための装置や演出をその都度作り上げ、そしてアリアーヌと全体へとその内容を提案するのです。
俳優陣の年齢層も様々で、彼らは共に即興を作り上げる中で、自らの経験や知識を酌み交わします。
私は「俳優は、この創造の過程で、”一人の俳優として”はもちろん、”芸術と共に社会に携わる者として”、そして”一人の人間として”成長することができる」と思いました。そして、演劇を単なる作品上演の芸術だと考えず、芸術を介した共同作業だと考え、上演という行為の過程をも等しく重視する私は、その光景にいたく感動したのです。
ちなみに過程だけでなく上演も、言うまでもなく素晴らしいです。一つひとつの所作や表現技法の選択など、細部に至るまで込められた彼らの緻密な美学。抑圧に抵抗し生き抜いていくための希望を思い起こさせてくれる彼らの一貫した態度。そして何より、一人ひとりの俳優があんなにも生き生きと躍動し、自分の台詞や所作を ”台本の一部” としてではなく ”この社会に対して自分自身で選び表明するもの” としてある種の覚悟と喜びを以て、ものにしている様を観ていると「ああ、〈演劇〉とはこうだったな」と、まるで忘れかけていた古い記憶を思い出すかのような懐かしさにさえ駆られるのです。過去と未来とに貫かれた一瞬間のなかで、”私たち” はそれぞれ自分の旗を振っている。大きくいえば、それぞれの愛と平和への希望のために、旗を振っている。その一瞬間がそれぞれ綿々と連なって出来上がる大きな流れこそ、私たち人間の営みであり、そして私は、それ自体が〈演劇〉なのだと思います。上演とは、その一瞬間のなかで劇場に集いみんなで大きな旗を振る、一つの行為なのだと思います。彼らの生き様は、絶えず私にそのような感覚を思い起こさせてくれるのです。

稽古外の彼らの過ごし方も含めて、この劇団の人生にはまさに、共に働き、共に生き、共に分かち合う喜びがあります。そして、そのような協働意識が彼らの集団創作を支えているのだとも感じます。
私もまた、彼らと共に働くなかで多くを学びながら、アリアーヌが初期の頃から言っている『演劇は労働である』という言葉——それはまことに様々な角度に波及する言葉だと思いますが——その言葉の意味するところを少しずつ咀嚼する日々を過ごしています。

2021年に彼らとフィルム越しに出逢って以来、「太陽劇団のような活動を日本で、アジアで、そして世界で自分が行うにはどうすればいいか」ということを漠然ながらも考え続けてきました。
そして今、私は紛れもなく絶好の機会に恵まれています。
私がやろうとしていることは、難しいことだけれども、決して不可能ではない。その実、非常にシンプルなことです。何より、太陽劇団の彼らがそれを体現してくれている。
アリアーヌが私を”ここ”に連れてきてくれたように、私もまたこの愛を、次なるものに繋げていけるよう努めていかなければなりません。
最大限の力を振り絞って。

その時には、みなさん、どうか力をお貸しください。
それでは、また。
半分太陽劇団へのラブレターみたいになってしまったし、やたらと鉤括弧の種類も多くて、読みづらかったらすみません。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

2024年5月26日
佐藤礼一

こぼれ話(インターンのきっかけなど)

昨年11月の初め、念願の来日公演があった際に、京都では合わせて太陽劇団の俳優(Duccio Bellugi-Vannuccini)による演技ワークショップが開かれていました。日本における太陽劇団の資料の少なさに絶望していた私は、何かしらの手がかりを必死に探し求めて、東京から京都まで赴いたのです。

そして、別の日にはアリアーヌによるトークイベントも開催されており、私はそれにも喜んで参加しました。トーク後には参加者からアリアーヌに質問ができる時間があり、そこで私はとても緊張しながら、太陽劇団の活動やアリアーヌの思想に感銘を受けたこと、新作の『金夢島』にも素晴らしく感動したことなどの想いを述べながら、思い切って劇団のトレーニングについて質問しました。すると、アリアーヌは質問に軽やかに答えてくれたのち、逆に私に対して幾つかの質問をしてきました。「『金夢島』を観たということは東京から来たんですか?(その時点で京都公演はまだ始まっていなかった)」「こういう質問をしたということは、演劇をやっているのですか?」「役職は?俳優ですか?」など。そこで彼女は、私に興味を持ってくれたみたいで、後日個人的に話す機会を頂いたのです。

次の日、通訳の方も交えて3人で少しお話をしました。緊張も緊張で、お礼に渡そうと買って行った花束を袋に入れたまま渡したのを憶えています。(笑)
最中では、京都公演の準備のためにスタッフの方から電話が数回かかってきました。忙しい合間を縫って、時間を作ってくださったようです。
東京から京都まで太陽劇団を追いかけてきたことに感動してくださった彼女は、私が劇作家であることも踏まえて、話してみたいと思ったようです。
私がどういう作品を書くのかという話を少しした後、彼女は「とても興味深い、ぜひ読んでみたいです」と言ったのち、私の創作に対する姿勢を彼女の力強い言葉とともに称賛してくれました。
そののち、彼女は「昨日、不思議なことに何か感じるものがあってこうして話しているのですが、もしあなたが良ければ」と言って、私を次の新作クリエーションにインターンとして招待してくれたのです。

こうして書き起こしてみても、いまだに夢のような出来事です。
「東京から京都まで来たように、パリにさえ来てくれればあとはこちらで面倒を見ます」と、会ったばかりの若者に言い放つ彼女の懐の深さに私は驚きました。しかも、招待の話が明らかになったのは私の仕事について話した後でしたが、話す前から招待することは決めていたらしいのです。
私は未熟ながらも、何十年か後に自分も同じことができるように頑張ろうと心から思いました。

少し有名な話ですが、アリアーヌは自身が本格的に演劇を始める前、アジアの国々を5ヶ月ほど旅して周りました。そして、そこでのアジア演劇やアジア芸術との出逢いが、彼女の芸術を根底から大きく支えているのです。
私もこの1年間、ヨーロッパの演劇や芸術にできるだけ触れたいと思います。若き日の彼女のように!!

以上、これで本当の本当に終わりです!
ここまで読んでくださった方へ、ありがとう!ビッグラブ!

そして、ぜひ観てほしい、太陽劇団の映像作品!どれもおすすめだけど、僕のバイブルは以下の二作。
・『太陽劇団の冒険(L'aventure du Théâtre du Soleil)』
・『フォル・エスポワール号の遭難者たち(Les naufragés du Fol Espoir)』

一つ目はドキュメンタリー作品で、彼らの活動の歴史がよくわかる!
二つ目は彼らの代表作の一つ。これぞ不朽の名作!

日本語字幕はついてないので、今後日本語字幕付きの上映企画があれば、ぜひ観てほしい!!

Merci infiniment, à bientôt ! 👋

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