好奇心について
写真は夜の富士山頂の気温で冷やしたプリンの原液は固まるのか試した実験。
結果、どろどろの甘い液体でしかなかった。
僕は好奇心が強い方だと思う。
その証拠に、山奥の研究棟で「それって社会の何に役立つんですか?」と言われかねない研究をしている。
学問が好きになったのはここ数年で、こんなに世界が面白いものだとは思っていなかった。
碌に受験勉強もしていない人間がこんなところまで来れたのは、
"頭の悪い奴が大学に行くのは無駄"論が
社会に浸透していなかったお陰だと思う。
(親にも感謝)
そ好奇心が強いのとは別に、好奇心が好きだ。
「好奇心が強い」とは言うけれど、
「好奇心が弱い」とは言わない。
好奇心の強さでマウントを取る文化がないし、
好奇心の強さに権威がつかない。
だから好奇心は加害性の小さいパラメータだと感じている。
そもそも加害、マウント、権威、この類のものは
都合の良いように状況を塗り変えるために使われる。
塗り変えてしまえば好奇心の満たしようがなくなるので、好奇心とは両立しないのかもしれない。
とはいえ、好奇心で物事を追求し成果を得る研究者の中にもハラスメントや権威の乱用が見られるという話は少なくない。
ストーカー行為や芸能スクープも止まらない好奇心の一種と言える。
ネットサーフィンは常に情報に求める病的な好奇心の発散だ。
(ランナーズ・ハイに倣って無限スクロールしている時の状態をサーファーズ・ハイと呼ぶことを提唱したい(サーファーに迷惑かもしれない))
好奇心について思いのまま書き進めてみて、
好奇心の強さがルッキズムのように人を傷つけることはないけれど、強い好奇心は人を傷つけ得ることが分かった。
誰も傷つく余地がない程に"奇"なものに好奇心を向けていきたい。
なので次は日本人がミカンに支配されている気がしたことについて深掘りたいと思います。
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