エピソード 2. アムウェイとの出会いと奈落の人生
また来年、受験に挑戦したい!
と目を真っ赤にして泣きながら母に頼みました。
「うちには音楽大学に行かせられるほどのお金はない」と母。
ーーーー瞬殺撃沈😱
お金が無いならしょうがない。
音楽大学はお金がかかりますからね。。。
って!!!
それなら音楽高校に行かせるな!
音楽大学を目指さすなぁ〜!!
。。。あれは何だったのか、いまだに家族の七不思議ですw
音楽大学には行けないと理解した私は
学費の安い音楽専門学校へ進路を変更。
しかしこの決断こそが消し去りたい私の人生の始まりであり、
転機となったのです。
念願の一人暮らしが始まりました。
実家から遠く離れた専門学校。
私は一刻も早く実家から出たいと思っていたのです。
母のレールから離れたい!
自由になりたい!
こんな気持ちが心のどこかにあったのでしょう。
いえ、常にありました。
学費は両親、生活費は自分でバイトで稼ぐというのが条件でしたが、
実家から出れるという喜びで不満・不安は一切ありませんでした。
自由!
母の、あの七変化からも逃れられる!!
既に一人暮らしの自由に心が奪われていたのです。
母の呪縛だけではありません。
毎日ダッシュしてまで練習していたマジメな私ですが、
実は3日間の停学をくらったことがあります。
その理由は、、、
「飴🍬一粒を舐めたから」
ひ・と・つ・ぶ ですよ~⁉ w
帰り道でたい焼きを買おうと並んでいたのを見回りの先生に見つけられ、
親子で反省文も書かされたっけ。
校舎の入口では必ずスカート丈のチェック。
元少年院の指導担当だった先生が物差しを持って睨んでいるのです。
ありえない程厳しかった私の高校。
今で言うブラック校則でしょうかw
それまでの全てが厳しいレールの上を走っていたのです。
バチンッ!
と大きく弾けるように何の縛りもない自由な世界へ突如羽ばたいたのです。
これがマズかった。。
生活費を稼ぐためのバイトは専門学校の隣にあるファミリーレストラン。
時給の良い夜時間で働いていました。
そして・・・
私の人生初の彼氏がバイト先でできたのです!😍
バイトに行けば彼氏に会える。
頑張っている姿を認めて褒めてもらえる。
接客のスキルも上がってお客様にも喜んでいただける。
自分を認めてもらえ、役に立つ嬉しさからバイトが楽しくなり、
次第に音楽よりもバイトにはまっていったのです。
親から褒めてもらったり認めてもらったことが一切ない私は
承認欲求の塊だったのです。
気が付くと。。
朝起きれない。
学校をサボりだす。
でもバイトには行く(彼氏に会えますからね~♪)
バイト後は仲間や彼氏と朝まで遊ぶ。
この繰り返しとなり、正直、専門学校に何日通ったか覚えていません。
よく卒業できたものだと今でも不思議でなりませんw
ーーー今なら分かるのですが、
誰でも卒業できる学校では、何も学ぶことはできません。
学費の搾取です。
皆さん気を付けてくださいね w
一度染みついてしまったその悪循環から抜け出すことは出来ず、
学費を払ってくれていた両親への申し訳なさから、
良心の呵責に長年悩まされることとなりました。
その悪循環のまま社会人生活へと突入。
結婚披露宴でのエレクトーン奏者となり、
数多くの宴会を音楽で演出することとなりました。
夢であった音楽で生活するという目標に近づいたのかもしれません。
あの時に描いたものとは遠く異なりますが。
ある日私の家電話(←携帯じゃない w)が鳴りました。
「すごい話があるんだ!会わない?」
元バイト仲間から、(今ならわかる)ネットワークビジネスの誘いだったのです。
あのアムウェイが私の元にやってきたのです。
自宅にやってきた友人から直々に事業説明を受けました。
製品紹介は、あの有名なデモですw
洗剤類や歯磨き粉、消臭スプレーなどフルコースで受けました。
あの頃は良き時代だったかもしれません。
現在は特定商取引で、
✅勧誘の際には身分の提示、
✅勧誘目的の提示、
✅公共の場でなくてはならない、
など厳しい法律があります。
これが現在行われていたら法律違反になってしまうのです。
当時は何でもありの、良くも悪くもネットワークビジネスが急成長した時代だったのです。
友人からの事業説明は、正直何のことだか全く理解ができませんで。
友人も始めたばかりでまだ説明上手ではなかったのもあると思います。
私もアホでしたが w
ですが、
このシステムは何だか凄いぞ!
こんな働き方が出来るなら凄いぞ!!
自由になれるかも!
と私の直感が働いたのです💡
ある日、その友人のリーダーという方の自宅へ行くことになりました。
「ビジネスをやるなら製品は全部持っていた方がいい」とそのリーダーから言われ、当時の全製品を購入するために、50万程のローンをあれよあれよという間に組んでいきました。
人生初のローン。
無知過ぎた私。
気弱だった私(昔はお転婆真っ黒だったのにw)。
違和感を感じつつも年上のリーダーが言うことに「そんなものなのかな」と言われるがままでした。
そう、私は洗脳されやすかったのです w
ビジネススタート後はセミナー参加のために都内へよく出かけました。
セミナーではトップリーダーの方々の
「なぜタイトルを達成できたのか」
「成功したいなら今本気で決めよう!」
「成功しているリーダーがどう考えるかを考えて行動しよう!」
などの話を聞き、終了後はグループメンバーで集まってお茶会。
(アフターと呼ばれてますね)
しかもセミナーは有料でした。
正直、内容は毎回同じ。
毎回参加しなくてもいいんじゃないか?
でも参加するのが当たり前、な無言強制の雰囲気。
参加者はトップリーダーのファッションやしぐさをマネをし、
コピー人間の集まりのような雰囲気に。
あるサプリメントを口に入れて飲んだ瞬間に
「うぉ~!もう元気だぜ!!」
・・・そんな訳ないでしょ!
胃に入ったばかりだし!!
消化もされてないし!!!
違和感を感じつつ、
一方では華やかなリーダー達に憧れがあったのも事実です。
そこにはド田舎では体験したことのない世界が広がっていたのです。
毎回、時間もコストも労力もかかっていました。
にも関わらず私のスキルは全く変化が無かったのです。
皆さんもこのような経験はありませんか?
ホームミーティングにもよく参加していました。
ここではデモなどの練習や製品の勉強をしていました。
そう、あの有名な鍋デモですね!
今はそのデモについてインターネット上で真実が暴露されていますね。
製品の勉強もそれが正しかったのかは今では疑問です。
もし皆さんがこのような状況にいるようであれば、
情報弱者のままで終わらずに、インターネットなどで信頼できる情報などを調べた方が良いかもしれません。
ただインターネットにも様々な情報が溢れており、
事実ではない情報も多いので注意してください。
✅その情報発信者が誰なのか、
✅どんな経歴でどんな実績があるのか、
✅信用して良い人なのかどうか、
などをしっかりと確認してください。
当時のリーダーからはビジネスをする上で大事なリストアップの方法や、見込み客の作り方、アプローチの仕方、トークスクリプトなど、具体的なことは何も教えてもらえず、ただただ「やるぞー!」と、気合だけで成り立っているグループだったのです。
そして月末。
それはそれは不思議な光景を目にするのです。
「○○がタイトル達成を目指しているから、メンバーは製品を沢山買って!」とリーダー。
月末最終日の夜に大量のオーダーをしているのです。
一緒に活動していた仲間は当時の私と同じ20歳前半。
そんな大量の製品を月末毎に購入できる余裕はないはずです。
そしてそこには消費者は一切いないのです。
その購入はメンバーの在庫となっていったのです。
不思議でした。
違和感しかありませんでした。
ビジネス活動も深夜までしていたため、
ここでも引き続き夜型の生活を送っていました。
正直苦しかった。
抜け出したかった。
でも成功するためにはやらなければならない、と思い込んでいたのでした。
そんな生活はお金も時間も心の余裕も、全て私から奪っていったのです。
それは本業のエレクトーン演奏にも影響が出ていました。
披露宴の演奏準備や練習する時間も残されておらず、
本番でボロボロの演奏をするようになっていったのです。
自分が本当に情けなく、嫌で嫌でたまらない時期でした。
あまりにも苦しくてトラウマとなり、
今でも披露宴本番で演奏が出来ずに焦っている夢を見ることがあります。
当然このような状態が継続できるわけもなく、
違和感も感じていたこともあり、
次第にビジネス活動はフェードアウトしていったのです。
フェードアウトできない方、
やめたいのにやめられなくて苦しんでいる方、
ふと普通の生活に目を向けてみてください。
そこには質素でもゆったりした時間と、
少しばかりの幸せが待っているのです。
ビジネスのやり方には大きな疑問が残ったものの、
会社の理念やビジョン、製品はお気に入りのままでした。
そう、私はどこまでも思うツボの女なのです w
アムウェイ製品が大好きな愛用者としての生活は
その後も継続することとなりました。
次へ続く・・・。
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