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エピソード 3. ディストリビューターから社員へ 社内はどんな感じ?

生活費に困窮していた私。
情けないことにその頃の私はもう自立を維持できなくなっていました。

当時はプライベートもボロボロでした。
あのバイトで出会った、心の底から大好きだった彼氏との結婚話も
破談になったのです。

原因はもちろん、このボロボロだった私です。
そんな私を見ていた彼氏の心は別の女性へと移ってしまったのです。

当然の理由だと思います。

私の人生で2度目の大きな挫折となったのです。

この挫折は大きかった。。
気持ちが戻るまでに約3年も苦しみました。

もはや選択肢もなく、戻りたくなかった実家へ帰ることにしたのです。
実家で生活を立て直し、またやり直そうと、
やっと決めることができたのです。


まずは収入を安定させるためにバイト探しです。

ありがたいことに、都内のある大手人材派遣会社の
新規事業部門でバイトとして採用されたのです。

最初は事務でしたが、徐々に担当範囲が広がり、
最終的には営業も担当させて頂きました。

あ、営業と言いつつスポーツクラブで泳いでいたのは内緒です~w

相変わらず自由でアホな私w
まだ立ち直り切れていない私w

バイトを初めて約1年後、
その新規事業部門が子会社化されるという話になり、
何とそこで正社員としてお誘い頂いたのでした。

そう、この企業があの大手人材派遣会社のインテリジェンス株式会社の
新子会社だったのです。


私は運が良いと思います。
あの時の上司には今でも感謝しています🙏
基本大人しい私(←ツッコまない!)がよ~くケンカした相手ですが。


この正社員になる段階でようやく自立を復活させることができたのです。


その新規事業はアウトプレースメントと呼ばれる、
早期退職プログラムで退職した、中高年の方々の再就職先をサポートする
事業でした。

当時はバブル崩壊から数年経った頃で、
大手企業が相次いで早期退職プログラムを実施していた、
正にそんな時期だったのです。

その早期退職を考えている企業の開拓と人事担当者とのアポ取りや、
退職者の再就職先を求人雑誌などから収集するのが私の仕事でした。

当時の株式会社インテリジェンスは、飛ぶ鳥を落とす勢いで
成長し続けていたベンチャー企業でした。


社内でも人材教育や新規事業開発~子会社化に力を入れており、
優秀な人材を育てる画期的なシステムがどんどん導入されていました。

今ではすっかり有名なあのサイバーエージェントのCEOの藤田晋さんも
このシステムを活用し独立されたインテリジェンスの元社員ですね。

ここで私のキャリアが書き換えられたのです。


『収入をアップするには転職を成功させること。
将来性のある市場で成長しているベンチャー企業へ転職し実績を残す。
そうすることで、中卒でも高卒でもキャリアを書き換えることが可能
なんだ。』

と、あるIT企業経営の実業家が教えてくれました。

『これも一つの人生の波の乗り方。俺だったらそうする。』

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そんな充実した毎日を過ごしていたある日、
ある求人雑誌を確認していたら衝撃的な募集が目に入ってきたのです!

「☆社 ディストリビューターサポート担当者募集」

思わずそのページを切り破りました。

あの☆社!
あの☆社?
あの☆社~!?!?

頭の中はグルグル、目はハート。
はい、勤務中でしたw

これはチャレンジするしかない!

私とは思えない行動力が突如湧き出て、数日後には履歴書を投函。
そこからトントン拍子に一次・二次面接を通過していったのです。

面接では自分でも驚くようなマインドや行動。
私にはこんな力があったんだ!と自分で驚きました。

ベンチャー企業で毎日鍛えられたことで、知らぬうちにスキルが身についていたのです。



本業でも副業でも「働く」ことを通じて、
「役立つスキルが努力して身に付くかどうか」
これがとても大切なんですね。

皆さんはそのような環境に身を置いていますか?
皆さんの副業はいかがでしょうか?

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そして面接三次。何と筆記試験です。

ヤバイ・・・😱😱😱

私は音楽高校〜専門学校卒。
一般教養を学ぶ時間は全て音楽へ捧げてきたのです。

私はバカだったのですw

今さら勉強してもどうにもならないと当日を迎えます。

半分ほどは回答できたでしょうか。

...いえ、ほぼ鉛筆を転がしていました~w

もうそれはそれは落ち込みました。。。

愛してやまないあの☆社に、どうしても入りたかったのです。


数日後、☆社から通知が届きました。
薄っぺらい封筒を、不採用を覚悟で開けました。


しかーーーーーーーーし!!


何と採用通知ではありませんか!!

天にも昇る気分とはこのことか~!!

入社後、当時の部長から聞きました。

「おまえの筆記試験の後に人事がやってきて、点数はほぼ無いんだけど
いい人だった。どうする?と聞かれたんだ。
俺は点数なんて関係ないと返したんだよ」と。

嬉しいなんてもんではありません。
何と表現したら良いのでしょうか、、、
心の底から湧き出てくる嬉しさと感動の震え・・・。

私はやっぱり運がいいのでしょう。
またもや上司に次の人生ステップへと引き上げて頂いたのです。

今でも心から感謝しています🙏
ありがとうございます。

こうして晴れて☆社の正社員となった私。

入社後は驚きの連続でした。

まず英単語が多いw
外資系企業なので当たり前なのですが、
ド田舎で育ち、音楽しかしたことのない私には衝撃的な世界でした。

各本部長はアメリカ本社から出向しているガイコクジン。
それぞれ専属の通訳がついています。

しかし敷居は低く、社員と同じフロアに席があり、
いつでも挨拶や会話ができるオープンな雰囲気でした。

そんな中でも本部長から声を掛けられると一目散に逃げていた私w

英語やめて〜!怖いから(怒)!!

当時の私は英語がさっぱり分からず呪文のようでしかなかったのですw

しかしこのオープンな環境が社員が生き生きと活躍できた要因だと思います。

社員同士のコミュニケーションも良く取れていたと思います。
就業後にはみんなで集まって飲みにケーション(←昭和かw)。

そして何より何より、皆さんアタマガイイ!

そう、☆社は頭脳集団だったのです。

日本語なのに何を言っているのか理解できない無知な私。

はい、相変わらずアホだったのですw

同僚や先輩には、帰国子女は勿論、
あの〇〇株式会社の会長の孫娘、
政界の重鎮〇〇の甥っ子、
幼稚園から〇〇大学付属一筋の裕福なご家庭出身、などなど、
もうそれまでの私の人生にはあり得ない人物がウヨウヨしているのです!


本当に採用頂き感謝しかありません🙏


私の配属先はディストリビューターさんをサポートする部署でした。
社内で一番ディストリビューターさんに近い部署ということですね。


この部署で心地よかったことは、
「ディストリビューターさんが第一」
「ディストリビューターさんはパートナーでもあり顧客でもある」
の認識が部内で一致していたことでした。

よって他部署と折り合いが付かないときには戦うこともしばしば。
他部署の皆さんも強者なので怖かったなぁ。。。

ディストリビューターさんのサポートなので、当然月末が多忙になります。
特に最終日の午後から翌月の2日ほどまでがピークです。

何故か?

多くの皆さんが最終日にオーダーを入れるのですが、
深夜0時を超えて最終日内に発注が間に合わなかった分が、
特別計上として前月分に処理されるのです。

それは結構な量でしたので、特別計上処理をする担当者のいる階まで
上がったり降りたり。

学生時代のダッシュ経験はここでも活かされていましたw

これは☆社だけではなく、恐らく他の多くのネットワークビジネス企業も
同様でしょう。


しかしこの時に脳裏に浮かんでいたのは、
ディストリビューター時代のあの月末の夜の風景。。。

全てのグループがそうだった訳ではなく、ごく一部であったと思います。
会社も素晴らしく、当たり前ですが法律を遵守する姿勢を貫いていました。

しかし多くのネットワークビジネス企業もこれと同様かもしれません。

製品のブランドチェンジから始まり、
それがいつしかタイトルを獲得することが目的となる。。
そのビジネスは手段だったのが、いつの間にか目的へと変化してしまい、
タイトル保持者が凄い!偉い‼ 成功者だ!!! と勘違いしてしまう。

私もディストリビューターの頃はそう思っていました。

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当時はバブル崩壊後ですが、まだまだ華やかさは残っていました。
しかし数字はその時の現状を反映しており、売上は全体的に右肩下がりが
続いていきました。

業界自体が縮小し続けていったのです。
たった4年間で売上は何と半分にもなっていたのです。

そんな状況のなか、充実していた勤務も、気づけば9年弱が経過。
私もいい歳になっていました。

永遠の32歳ですがw

自分の成長を感じられるこの会社を辞めたいとは、
まーーーったく思っていなかったのですが、、、

辞めたのですw

次回はその理由を書きたいと思います。


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