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春。右も左も (二)

(二)

 私の家は滋賀県の某所。光る湖面を見たりスマホを見たりしながら電車とバスを乗り継いで、やって来ました、京都芸術大学。

 午前中には通学部の入学式があったようで、私くらいの年齢の子たちもまだ門前の歩道に何人もいた。入学式は講堂であるらしい。キャンパスは山と一体化した感じで、講堂まではずっと階段を登るようだった。通学部の子は足腰鍛えられそうだ。

 通りから煉瓦張りの大階段に向き直って見上げると、階段の上にはギリシャの神殿のような感じでコンクリートの柱が並んでいて、その間にのぼりのようなものがはためいていた。自分でもよくわからないが小さく頷いて、目を足元におろして、そして階段に足をかけた。

 案内に従ってどんどん上る。ピロティを抜けて、二百五十五段目で、武士っぽい銅像(あとで調べたら吉田松陰だった)があって、そこで小休止。

 見回すと、山の中腹のようなところまで来ている。ここから上は斜面にまっすぐな杉の樹がしゅっしゅっと何本も生えている杉林になっていて、その中に和風の建物が見える。しぶい。一息つくとここから左手方向の細道を行って、講堂はすぐだった。

 山の上の講堂にはパイプ椅子が床一面に並べられていて、もう早くきた人たちが座っていた。誘導に従って「芸術教養学科」の旗のある場所までいって、軽く会釈して座る。さっき階段したで見かけた人たちとは違う、大人の人ばっかりだ。

 頭ではわかっていても、やっぱり少し驚く。よく見ると、三十代くらいのお兄さんっぽい人もいれば、マダームという感じの人もいる。会社では偉いのかなという雰囲気のおじさん(失礼)もいるし、うちのおばあちゃんくらいの人もいる。大人と一言でいっても、いろんな人がいるんだなと思った。同じくらいの歳の人がいなくて心細い気がした。でもいてもそんなにがんがん話せるわけではないのだけれど。

 やがて入学式が始まって、学長先生とかいろんな人のお話があった。緊張していたせいか、その辺りは正直あまり覚えていないので省略します。入学式で印象に残ったのは、
  ①階段、
  ②いろんな世代の大人がいたこと、
  ③祝奏の和太鼓の音がすごくてお腹に響いたこと。
 太鼓の音は少し普通ではない感じがあって、芸術大学に入ったんだ! という実感が急にわいてきてどうしようと思った。


 入学式のあと、校舎の教室に移動した。新入生ガイダンスというのがあるのだ。入学説明会とかオープンキャンパスみたいなのとかにも全然出ていないので、右も左もわからない。だいたいどうやって勉強するのか、何を学ぶのかさえ、あやふやなのだ。とにかくこのガイダンスを受けて、イメージを持たなくては、というのが今日のミッションなのだった。

 旗を持ったジャケット姿の男の人に案内されて、教室にたどり着いて着席した。隣はさっき入学式で見かけたマダームだ。にっこりと会釈された。なめらかだ。こちらは少しきょどってしまって変な挨拶になってしまった。

 そうこうするうちに、教室の前の方に先生が並んだ。さっき案内してくれていた人も先生だったことがわかった。先生の列を目で順番に見ていく。やっぱりおじさん多いのかなと思ったところで、白いひらひらした衣装に身を包んだ若い金髪の女性の先生に行き当たって、絵柄的にかなり驚愕した。
「みなさん、ごきげんよう。はじめまして。芸術教養学科学科長のハヤカワです。」

 その女の先生が学科長先生なのだった。やっぱり普通の大学と違う。心の大太鼓が鳴った気がした。

「今日のガイダンスでは、芸術教養学科での学びの内容や、履修計画の立てかた、学びのサポート等について、学んでいただきますが、カリキュラム等の説明の前にワークショップをします。」

 このワークショップをすると、みんなの知りたいことや疑問が明らかになるので、その後の説明が理解しやすくなるらしい。あと、みんなで意見を出しあうワークショップは、学友をつくる機会でもあるそうだ。

 以前は模造紙を囲んでみんなでわいわいアイディアを出しあってやっていたらしいのだが、例の疫病が世界を覆い尽くしてしまってからは、感染防止のためにそういうグループワークはやめて全員のアイディアを大画面上に展開する方法にしているそうだ。

「でもせっかくですから、このガイダンスでお友達を一人は作ってください。そして、スマホでも、家に帰ってからパソコンででもいいですから、airUコミュニティでも友達申請しあってください。では、お隣の人と一分間、自己紹介をしましょう。」

 教室の空気がふっと変わって、そしてざあっと声が溢れ出した。私も隣の人のほうに向き直った。

(続く)


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