2024/10/01

最近、洗顔料を変えた。
これまではテキトーに選んだものでお茶を濁していたが、自分の肌に合ったものを使った方がいいらしく、自分の肌は混合肌というものに分類されるらしいことがわかった。ちょうど肌が荒れていたので、これはいい機会だと思い、前の洗顔料を使いきらないままに新しい洗顔料を買った。こういうのは使いきるのを待っていてはいけない。善ではなくても、急ぐのだ。使ってみると、泡が心地よく、こころなしか気持ちよく顔を洗えている気がする。洗った後も、肌がつっぱることなく、やわらかいままでとてもいい気分だ。

最近は、こんなふうに小さくても意識的な変化を起こすようにしている。外圧による変化は待っていても起こるが、それは常に追いたてられる形で始まり、追い出される形で終わる。望まぬ世界へ、自分の意志とは反対に。だから少しでも変化を求める気持ちが生まれてきて、それが簡単に取り組めることなら、やってみる。もしかすると、これは心の余裕がある今のうちしかできないことなのかもしれない。ひとまずやってみて、考える。少しずつそういう考え方になってきた。

少し前に読んだ東畑さんの『雨の日の心理学』という本に感化されてきているのだと思う。その本には、ケアとセラピーの違いについて、ケアはニーズを満たすことで傷つけないようにすること、セラピーはニーズを変更するために傷と向き合うこと、と書いてあった。長かったケアの冬が終わり、セラピーの春が、セラピーの本義から言えばむしろセラピーの夏が、私にも到来しているのかもしれない。いま私は癒されることではなく、変化にさらされることを求めている。傷つきを軽く見ているわけではない。傷つきとともにあることを引き受けようとしている。このままいけば私はずっと変わらなくて済むだろうから、変わってみたいと思える。ケアの終着点でセラピーに乗り継ぐ。いまはそういう行程をたどっている気がする。

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