2024/07/31
不確定な期限によって身動きがとれないのが嫌で、隙を見て大きく踏み込んでみた。決意の一歩。踏み出さなければどうにも変わらないことが目に見えていて、それに甘んじるだけの状況を私は受け入れたくなかった。もちろん、犠牲が伴うことを覚悟した決意の一歩だ。たとえこの選択が間違いであったとしても、後悔はしない。私はそれくらいには待ちぼうけをくっていた。私の決意が相手に伝わるのかは定かではないが、それはもう私の手の及ばない問題であり、この隔たりをああしようこうしようと思い悩むつもりはない。シェアの関係からナイショの関係へ、と本のなかでは簡単に紹介されていたけれど、実際はそんなに容易なものではないと思う。相手がシェアの関係でいたいときに、私からナイショの関係を要求されても困るだけだろう。逆もしかり。いまの関係は私が動かなければ、おそらくずっとシェアの関係だ。私たちはその心地好さをすでに覚えてしまっている。それでもなお、と踏み出す決意の一歩は、自暴自棄ではない。コミュニケーションにおいていつも不利になる先攻を引き受けるために、踏み出したものだ。どうとでもなれ、とは思っていない。今でも相手のなかの自分の価値が損なわれていくことは怖いままだ。それでも、自分の価値を分かってもらえない相手を蔑むような合理化はもうしないと決めた。だから私はこの人とのあいだで進んで傷つきたい。私だけが傷ついて済むなら、それでいい。相手のなかで、私は通り雨のように降っているのかもしれない。そういう存在になることに、もうためらいはない。
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