日常の練習 2/26

文章が書けなくなっている。日記を書いていて、なんとなく気づいてはいた。ただ、この書けなさには出会ったことがなくて、どう対処したらいいかがわからなかった。だから、気づいていないふりをして、書いたらいいやと毎日の作業のようにやり過ごしていた。ふと最近の自分の文章を読み返してみると、生温い嫌な気持ちになる。たぶん書く時間を節約しているせいだ。本来はもっと書かれるはずの言葉があるはずなのに、それを探そうとせず、手近な言葉ばかりを並べて、文章を書いたような気になっていた。整理されないままの思いがそのまま文章に表れることは評価されるが、整理されないままの言葉が表れた文章は、そもそも文章として立ち行かない、読むに耐えないものだ。そういうものをいくつも生成することが日記を書くということなのだとしたら、もういっそ止めてしまっていいと思う。日記はまちがいなく自分のために書くものだ。たとえ義務になってしまっても、あくまでも自分のために書かれるべきだ。ここ最近は誰のためにも書かれていない言葉が浮遊している様子ばかり眺めている。それをよしとしてはいけないと強く思うようになった。書ける人になりたいという気持ちはずっとある。そこから今はすこしだけ遠ざかったような気がしている。

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