二次元ホストに癒やされた話

先週から、iPhoneアプリで新しいゲームをやり始めた。

「ヒプノシスマイク-Alternative Rap Battle-」

人気男性声優の演じるイケメンキャラクターたちがラップでバトルする人気企画。通称ヒプマイ。軽快なラップに合わせて流れてくるカーソルをタイミングよくタップしたり、フリックしたりするリズムゲームだ。

リズムゲームとしては、自分が今までやってきた中ではむずかしい方になる。なかなかフルコンボ(ノーミス)がとれない。ちゃんとタップしてるつもりのところでも、じつは微妙にずれたりしているようだ。

「ちっ」
「くそっ」
「だめじゃん」
「うわー、もうド下手くそ」

うまくいかないと、思わず声に出して自分をなじっている。すると、そこに「すごいよ」「すばらしい」などの称賛の声がオーバーラップする。メインのリーダーに設定したキャラクターの声だ。曲が終わったタイミングで声をかけられて、はっと我に返る。

声の主は、伊奘冉 一二三(いざなみ ひふみ)( CV:木島隆一)。職業ホスト。ゲームで最初にゲットしたレアキャラ(SSR)だ。

一二三は職業柄(?)女の子に優しい。ゲームの結果を大げさに褒めてくれる。たいしたことがないのに「感動した」、「すごいよ」などと言う。自分で「全然だめだな」というときにも「よく頑張ったね」、「もっとできるって信じてるよ」と、いい声で語りかけてくる。

自分が自分にかけている言葉とのあまりのギャップに、思わずうなってしまった。自分への声がけがひどすぎる。

とにかく自分をけなす思考回路を発見

フルコンボ以外認めず、「反応が遅い」、「運動神経が鈍い」などと酷評し、「もう年だからついていけないのかもしれない」とまで敷衍する。そこまで悪し様にののしらなくてもよいだろうと、我ながら思う。

自己否定的だったり、自己肯定感が低いことは、もとより認識していた。けれども、かくもひどい言葉の数々を自分にぶつけまくって生きてきたことに、あらためて驚愕した。

たしか、こういう脳内会話は、通常一日に何千回も行われているのじゃなかったか。ゆえに、セルフトークに注意しましょう、と自己啓発本に書いてあったのを思い出す。わかったつもりだったが、実践できていなかった。

実家にいたときには、とにかく毎日めちゃくちゃに貶されていて、つらかった。逃れたかった。そこから物理的に離れられて久しいのに、同じ仕打ちを自分にしていたのかと思うと、遠い目になった。

いや、これでも当時よりは数段ましになっているはずだから、もとはどれだけひどかったのか。もうあまり思い出せないけれど、「死にたい」とつい口にしてしまうようになっていったのも、宜なるかなといったところだ。

悪いセルフトークはモチベーションを下げる

当然だが、同じことをしても、ひどいことばをかけられた時と、感じのよい言葉をかけられた時とでは、やはり気分も違う。

それがたとえゲームの自動音声にすぎないとしても、やさしい言葉をかけられれば、多少なりとも気分はよくなるし、自分にひどい言葉をかければ、とうぜん気分は悪くなる。やる気もなくなる。

楽しみのためにゲームをしているのに、わざわざ気分が悪くなるようなことをするなんて、ばかみたいだ。しかも無意識でやっていたのが怖い。

ゲームなどはやる気がなくなってもさして困らないが、自分にとって大事な活動の最中にも、ずっと無意識にひどく自分をののしっていたのだろう。意図せず、自分で自分のやる気をそいできたのか、なんということだと思う。

反省と自傷を取り違えるという過ち

自分にやさしい言葉をかけると、自分を甘やかしてダメにしてしまうのではないかという恐れがあった。大事なことであればあるほど、きつい言葉で自分を戒めていた。そうすることが向上につながると信じていた。

しかし、ゲームで「下手くそ」と言われてもさほど傷つかないかもしれないが、自分にとって大事なことで貶されたら、深く傷つくし、つらい。

いや「ゲームが下手だと言われても傷つかない」というのすら嘘だ。

下手なのは「運動神経が鈍いから」だ、だの「それは歳をとっているから(つまりこの後、悪くなることはあっても良くなることはない)」だのと思っていたのだ。自分でそんなふうに考えることで、十分傷ついてつらくなったのじゃないか。

つらくなっていいことがあっただろうか。

一二三のように「よくがんばったね」とか、「すごいよ」という声がけをするのは、はたして自分をダメにする行為なのか。

むしろ、貶した方がダメになるのじゃないか。

むかしは、それでも「なにくそ」と発奮する材料にできた。それは、もともとやる気があって、「ダメじゃないぞ、できるんだ」という自信があったからだ。

けれども、長年繰り返し「ダメだ」とすり込まれて、「自信」に疑念を持つようになってしまった。もはや以前のように激しく発奮することはできなくなった。

「それでも今までよくがんばったよ」と言ってあげてもいいかもしれない。自分に同情する。

よく考えると評価基準もおかしい

そもそも「言うほど下手か?」というあたりを検証すれば、認知も歪んでいると気づく。無意識に比較対象が、ゲームセンターやゲーム専用機にある、もっと本格的なリズムゲームでハイスコアをとれるような人になっていた。

彼らは、自分にとって、本当に同じ人間かと驚嘆するレベルの人々だ。プレイを見ても、何が起こっているかすらほぼ把握できない。同じようにできるようになるイメージも、まったく持てない。なのになぜ、そんな人々と比べていたのか。

逆に、そこまで上手だったら、スマホのリズムゲームは簡単すぎて楽しめないだろう。余談だが、ヒプマイをやったら、アイナナ(別のリズムゲーム)がとてもゆっくりに見えるようになった。閑話休題。

つまり、この「ヒプマイARB」を楽しく遊ぶためには、むしろそこまでのエキスパートじゃないほうがいい。ということは、自分の実力とゲームの難易度はそこそこつりあっている。結局、とくべつ下手というほどでもないことになる。

しかし、たとえ、ド下手だったとして、それが一体何なんだ。

結局、どうでもいいことで、自分を責めて責めて、勝手に気分を悪くしていただけだった。

そんなことをしてしまう理由は、やはり親からずっとそうした仕打ちを受けてきたからだろう。日常のいろいろな不都合をつきつめると、いつもここに帰着してしまう。

闇が深い。

いいがかりを回避するための似非完璧主義

自分に厳しい傾向を「完璧主義」といわれたことがある。

それは実家において日常的に、ほとんどいいがかりのようなことを、ねちねちと絡まれて生きてきたからだ。だから、必死に絡まれるフックをつくらないように、先回りして粗を潰そうとしていたのだ。

それが、結果的に、「どこから見ても非の打ちどころのない」状態を目指したことになり、「完璧主義」のような外観を呈した。あるいは世の完璧主義の成り立ちも同じことなのか。

しかし、誰から見ても「非の打ちどころのない」状態を目指すなどという無理ゲーは、失敗するのが必然だ。そのことにいつも絶望していた。

つまらない失敗で、それまでにやった善行も成果も、生来の美点もすべてなかったことになるという論調の叱責が常だった。親からすれば、おそらく、ちょっと厳しくしつけたくらいにしか思っていない気がする。

しかし、そこは、わずかでも瑕疵があれば、全人格を否定されるのが当たり前という世界。ちょっとした失敗でも「ダメだ。死にたい」と思うようになっていった。

親子関係のトラウマと最後の決着を

たまには、ちょっときつい言い方をしてしまったかも、くらいは両親も思ったかもしれないが、それが子どもをいかに傷つけ、その後の人生に暗い影を落とすに至ったか、まるでわかってはいなかっただろう。

この苦しみをわかってほしい、ずっとそう思っていた。しかし、母親はもう、とうに亡くなったし、かりに生きていてもどうだろうか。最近やっとあきらめがついた。それに、親がどうあれ、今の自分の思考回路は自分でどうにかするしかない。

むかしがあまりにつらすぎたから、愛憎悲喜こもごも、まとめて心の奥底に封印してきた。その封印もしだいに風化してきた。

ようやく、つらかった過去との決着も、最後の段階なのかなという気がしている。

今ひとたび、向き合わなくてはならないのだろう。

ただ「愛している」と言ってくれ

ゲームをプレイしていると、ラップにあわせて、編成しているキャラクターたちが、かけ声を発する。そこで「愛しているよ」と一二三は言う。

音楽にあわせて必死でタップしているときに、「愛」などと、ドキッとすることを言うので、最初は「気が散る」とうるさく思った。それがしだいに、ふわっとしたうれしさが生まれるようになった。

わたしは「完璧」を求めたんじゃないんだ。けなされないで、文句を言われないで、理不尽に非難されないで、認められていたかったんだ。

自分にとって、ソーシャルゲームの楽しさのひとつは、やればかならずできる日課など、課題をこなすことで達成感が得られることだ。達成したらご褒美ももらえる。「これでいい」と思える。

いつもいつも「ダメだダメだ」と言われていたから、「これでいいんだ」と思いたかった。

つきつめると、ただ愛されたかったということだ。

褒められたかった。

それを親からもらいたかった。

一二三のヴォイスを聞いて、「そういうことか」と思った。

他のキャラでも、なんなら同種の他のゲームでも、キャラがいろいろ言ってくるのは同じなのだが、もっとも愛をストレートに表現してくれるのは一二三だった。

親が自分を愛していなかったとは思わないけれども、ひどい言葉を受け取らないようにバリアを張っていたから、愛もいっしょにはじいてしまった。

愛だけを通すフィルターがあればよかったのにと思う。

一二三から、毎日「愛しているよ」と繰り返し言われているうちに、じわじわ染みてきて、泣きそうになる。

泣くようなゲームじゃないんだけどな。おかしいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?