パリ・オペラ座の日々1993~1994:4月24日 サムソン・エリック
4月24日(土)
寝坊をして駅に行く途中のカフェまで歩いて出掛けたら、ギャルソンで働いている20代の若者が遠慮がちにメモを手渡して「君たち日本人だろ?僕の名前に漢字をあててくれないかな。柔道着の帯に刺繍をいれたいんだよ」と頼んできた。名前と連絡先のメモをもらって帰る。
その後ポトフ作りに精を出したが、苦労したわりにはいまひとつの出来栄えだった。。
Cafe 24F
Prisunic 107F
パテ 30F
パン 4F
国際電話 約100F
まだ知り合いもほとんど居ないパリで、毎日”よそ者”感をヒシヒシと感じていたので、この日地元のカフェで親しげに話しかけてくれたのはすごく嬉しかったです。さっそく二人で一生懸命考えて(一時間くらいだけど…笑)、「寒村」としました。エリックがどんな漢字だったか記憶が怪しいです。
当時のパリのカフェ経営者の多くは、ノルマンディーなどの北方出身者が多いという話を聞いていました。ギャルソンとして出稼ぎに来て、その後独立して開業というのが成功コースだったようです。このサムソン君もノルマンディーの出だと言っていましたから、それで「寒」の文字を。
ずいぶん時間が経過してから、完成した帯を見せてもらった記憶があります。小さなことですけど、この町の誰かとの関りが生まれたというのは嬉しい出来事でした。