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3/11の震災(地獄の雀荘バイト編)

こんにちは、げちぇな04です。
最近noteが流行ってるので、便乗して初投稿です。

少し過ぎてしまったが、3/11という事で、あの日の話をする。
もうあの忌まわしい災害から9年も経っていたらしい。
話はちょっと盛ったりしてるが、気にせずに読み流して欲しい。

俺は当時、福島県の福島市に住んでいた。

福島駅の近くのアパートに住んでいたのだが、県庁所在地と言っても、駅前はなんかちょっとデカめのデパートが1つあるぐらいで、特に何があるという訳でもない。
そして、そのデパートですらほとんど人がいない。

そのデパートに、母の日かなんかのプレゼントを買いに行った時は、そのフロアに俺一人しかお客さんがいなくて、店員も暇で仕方ないのか急に3人ぐらい寄ってきて、謎の気まずさを感じたのを覚えている。ピラニアかと思った。

夜中には駅前のコンビニ周辺にヤンキーが集まる。
デカい犬が描かれたスウェットを着用したヤンキーが道端に座りながら、俺の先輩マジやべーからみたいな話をひたすらしている(多分)。

飲み終わりの人達が、駅前唯一の牛丼チェーン店のなか卯に集結して、店員に遅いぞとか文句を言っている。
文句を言い終わると、俺の先輩マジやべーからみたいな話が始まる。
(※当時の話です)

最近は渋谷を意識したのか、福島駅前の交差点がスクランブル交差点になり、大型モニターまで設置されたが、豚に真珠感が半端ない

どう抗ってもライバルの郡山市には勝てない印象がある。

こんな言い方したけど、実際住んでみるとだんだん愛着が湧いてくるから不思議である。

そんな福島市で、当時俺は駅の近くにある雀荘でバイトしていた。
シフトは遅番で、21:00〜終わるまでという感じだった。

時給はまあまあだったが、本走(自分が入って麻雀を打つ)に入ればフルボッコ。

ゲーム代は全て自腹だし、時給はマイナスを緩和するためのアイテムみたいなもの。ポーションレベル。

一日中本走なしで「今日の勤務は平和だったな」とか言ってたら、店長に「次の半荘、早番来るまで一回だけ入って!」って言われてフルボッコにされて、一日分の給料がちょうどなくなった時はこの世の終わりを感じたが、終盤は慣れた。

1ヶ月ほぼフルでシフトに入り、もらった給料が20円だった時は頭がおかしくなり、その20円で近くの川で水切りをしていた。
平べったい石どころではないバウンド数を見せた。

そんなしょうもない日々を過ごしていた時事件が起こる。

3/11の大震災である。

地震が起きたのは、14時46分。

俺は完全に寝ている時間である。

ちょっとやそっとでは起きない俺でもさすがに起きた。

結構強めの地震だったので、とりあえずテレビとかパソコンを手で押さえたが、壁掛け時計が床に落ちた。

しばらくすると収まってきたので、どうせ震度3だろうと思って二度寝した。
デカいと思った地震でも、大体が震度3である事を知っていた。

数分後「ボゴッ!」みたいな音でまた目が覚める。

今度は何だよと目を覚ますと、さらに強い地震が来たらしくテレビが床に落下していた。

パソコン(一体型)も倒れている。

震度4か?と思ったが、眠すぎてテレビとかパソコンを元の位置に戻すのがめんどくさかったので、そのまま就寝した。

そして夜、自然と目を覚ます。

電気をつけようとしてもつかない。

暗くてあまり見えなかったが、もう部屋中の色んなものが床に落ちているのは分かった。

どうやら、あの地震は予想以上のものだったらしい。

今何時だ?と思い、落下した壁掛け時計を見ると、電池が外れたのか14時46分を差したまま止まっていた。

使えねーなと思い、携帯を見ると21:00。

「やべー寝坊だ!」

俺は雀荘のバイトに何度も遅刻していた。
しかもこの日に限っては、なんと2日連続の遅刻である。

最初の方は、「まあ勤務時間が変則的だししょうがないよ」と言っていた優しい店長も、3回目の遅刻あたりから、「次から罰金取るぞ」というスタンスに変わっていた。

給料20円しかない俺から罰金まで取ったらもう終わりである。

すぐに携帯で店長に連絡するが、何度電話しても電波の問題で繋がらない。

とりあえず顔洗おうと思ったが水が出ない。

電気も水も止まっているようだった。

この辺でようやく地震のヤバさに気づくが、遅刻でパニックを起こしていた俺は、すぐチャリでバイト先の雀荘に向かった。

パニクリすぎて、こんな時に雀荘が営業しているはずがない事に気づいていない。

チャリで向かっている途中の道路で、見た事もない渋滞が起きていた。
信号機も消えていたのは不気味だった。

このあたりで、こんな状況で雀荘が営業してる訳ないって事に気づけば良かったが、パニックの俺は「チャリでよかった、車だったらとんでもない遅刻になってるわ」と思っていた。

雀荘に着く前に、BOOKOFFの前を通るのだが、チラッと中を見るともうほとんどの本棚が倒れていて壊滅状態だった。
途中のコンビニの中もグチャグチャになっていた。

そんな事お構いなしに猛ダッシュで雀荘に向かい、21:30ぐらいに雀荘に到着。

店長にキレられると思い、ビクビクしながらドアを開けた。

遅刻してきてこの入り口のドアを開ける時の恐怖は、バイオハザードの扉を開ける時の緊張感とよく似ていた。

しかも今回は2日連続の遅刻である。
いきなりタイラントクラスが出てきても文句は言えない。

恐る恐る開けてみると、暗くて人の気配がない。

というか店内崩壊。麻雀牌が散らばり、割れたグラスが散乱している。芳香剤が床に落ちたのか、なんかほんのりいい香りがした。

クズな俺はこの状況を見た瞬間、勝ったと思った。
遅刻がバレなかったのだ。

むしろ後々、こんな災害の中でもちゃんと出勤したのが偉いみたいになるかもしれない。大逆転、天変地異。

ちゃんと出勤したアピールをするため、店の電話で店長にかけようとしたが、もちろん繋がらない。
仕方ないので、とりあえずアパートに戻る事にした。

腹が減ったので、コンビニでなんか買おうとしたが壊滅してて買えない事に気づく。
なか卯もやってない。

みんなどこで何食べてるんだ?と思いながら、とりあえずアパートに戻る。

その時、家に結構な量の食パンとカラムーチョが2袋ぐらいあったので、とりあえずそれで凌いだが、問題は何もする事がない事だった。

電気が止まってるので、テレビも見れないしパソコンもつかない。

これだけの状況で街中大混乱してるというのにまだ事の重大さに気付いてない俺は、アパートを出て、あろうことか漫喫に向かった。

寒いし、する事がないので漫喫で温まりながらもう何度も読んでるスラダンの山王戦をまた読もうと思った。

しかし、漫喫に向かう途中に道路を渡るのだが、信号機が消えてるせいもあってか、道路が渋滞しすぎて自転車一台が通れるスペースすらない。

この画像はちょっと盛りすぎだが、もはや人一人通さないぞと言わんばかりの車の鉄壁ガードっぷりは、一ノ倉のスッポンディフェンスを彷彿とさせた。

仕方がないので超遠回りして、車が少ない場所を見つけ、なんとか道路を渡り漫喫に到着する。

しかしもちろん店は暗く営業していない。BOOKOFFの本棚崩壊してるんだから、漫喫の本棚だってそりゃ崩壊してるし、電気も止まってる。

もう逃げ場がなくなったので、しょうがなくアパートに戻り、暗い部屋の中で布団に潜りながらひたすらPSPのぷよぷよをしていた。

外に出た所でどうしようもないので、寝て起きて食パンとカラムーチョを食べてぷよぷよして寝る生活がしばらく続いた。

外はずっとサイレンみたいなのなってるし、誰とも連絡が取れないのがめちゃくちゃ怖かった。
今でもとことんぷよぷよのBGMを聞くたびに、あの時の恐怖が蘇る。

そうしているうちに、飲み物と食料のストックが尽きはじめ、最終的に生きるためにふりかけをそのまま食べていた。

今では笑い話だが、当時はかなり真顔で食べていた。というか飲むに近い。

色んな種類の味が入ってるミックスふりかけみたいなやつだったが、買った当初のりたまばっか集中して食べたからか、残ってる大半がおかかだった。辛かった。
しかし、忘れた頃に出てくる、たらこ味の美味しさに感動したりもしていた。

飲み物も、外で稼働している自販機を探し、奇跡的に何本か買う事が出来たが、それも尽き、最終的に部屋に転がっていた缶チューハイを飲んで、さらに喉が渇いたりしていた。
俺がもし海上で遭難したら、喉が渇いて海水を飲んでしまうタイプだろう。

震災から何日経ってからか忘れたが、電気や水道が復旧し始めた。

その頃には、ぷよぷよで12連鎖ぐらい組めるようになっていた。

携帯で友達とか親と連絡できるようになったのが一番の安心だった。

もはや、おかかのふりかけすらなくなりかけてたので、もう少し復旧が長引いたら本当にヤバかったかもしれない。

いろいろな友達に震災の間どうやって生活してたかを聞いた所、割とみんなふりかけ食べてて安心した。

その後、友達の車に乗せてもらい実家(福島県内だけどあまり被害を受けなかった所)に避難した。

実家でふりかけご飯を食べた時は、ふりかけってご飯にかけて食べるとうまいんだなと再確認した。

久々にテレビをつけるが、可愛い動物達がいっぱい出てきてずっとポポポポーンって言ってる。

とても優しそうな感じのCMだが、トラウマになってる人は多いと思う。

震災時の恐怖の記憶を効果音で表せと言われたら、
ポポポポーンか、ばよえーんである。

実家に避難してから1ヶ月後ぐらいに、雀荘の営業が再開した。

久々に従業員とか常連さんと会ったが、みんな無事そうで安心した。

早番の従業員から話を聞くと、震災の日、雀荘内では地震が来た瞬間にほとんどの人が外に逃げたらしいのだが、その状況で一人だけ自分の手牌を必死に抑え

お前らどこに行く!まだ出来る!

などと叫んでいた猛者がいたらしい。
牌山もみんなの手牌もグチャグチャでサイドテーブルとかも倒れてるのにまだ出来るわけがない。ツモスーでもテンパっていたのだろうか。仮にみんな戻ってきて続行したとしてもバレバレである。

店長に、あの震災の日ちゃんと出勤しましたよアピールしたが、出勤すんなバカと一蹴された。罰金を回避できたのが唯一の救いか。

その後、壊滅した街は急速に復興に向かっていく。俺の人生は急速に壊滅に向かっていく。

色々ありすぎて上手くまとめられなくなってきたのでここで終わり。機会があれば次は雀荘メンバーから人生壊滅までの流れについて詳しく書いていきたい。


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