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評価しあわない

もう少し前になりますが、
某出版社の方のセクハラパワハラ問題が話題になりました。
そして今もくすぶり続けてる某芸人さんの不倫話とか。

どっちも文春だからというわけじゃないんですが、
どっちの話題もこんな問題行動になる前に
近くにいる人は色々感じてたと思うんですよね。
それに最初っからそういうことをしてきたとは思えない。

誰だって自分が力を持たないとき、あたり前だけど
力を振り回すことなんてできないので。

さすがに50年くらい生きてくると、
誰しも人生に浮き沈みがあって、ブイブイ言わせてた人が
今や見る影もなくなってどこにいるのかわからないとか
自分の凋落に耐えられずスピリチャルに走ってしまったり
逆にこれまでの苦労が報われて、取り巻きが生まれて
太鼓持ちに囲まれて言動がおかしくなってきたりというのも
あれこれ見ているわけです。

そういった変化を見るにつけ、
人間は環境の奴隷だなと感じるし、
なにより自分の状態に関係なく、
むしろ大変な時にあれこれ言わず力を貸してくれ
それまでと変わらず接してくれる友人知人がどれほど大切なのかと
涙が出るほど痛み入るわけです。

学生時代の何も持たない、体力とやる気だけだった子供から
親や兄弟を亡くしたり、健康を失ったり
結婚したり子供ができたり、そうかと思うと一人になったり
国を出たりね、いろんな結果を携えながら
それぞれの幸不幸を見ながら、それを評価というのではなく
共感しながら伴走するような関係というのは
友人だけなんじゃないかなぁと思うんですよね。

あいつと付き合ってると自慢できるとか、あの人と知り合いなんだとか
そういう損得じゃなく、誰に言いふらすわけでもなく
ただ付き合いを続けるし、言いたいことを言い合える
という関係を続けられるというのが、
人間のまともなっていうか(笑)、健やかさみたいなものに
結構大きな影響があるんじゃないのかなって。

大人になると、とにかく体力も気力ないから
とりあえず無難に褒めとくような言動ばっかりになりがちだし
損したり、傷ついたりしてる暇がないから
やり過ごすことばっかりの人間関係に囲まれて
気がついたら誰ともいいとか悪いとかじゃなく
心から素直に感じたことを話していることがなくなっちゃうんですよね。

いまみたいに、なんでもオンラインで用事だけを
済ませてしまう日々だからこそ
そういうことをどこかに持ってないと
人間ってやっぱりうまいこと生きていけないんじゃないだろうか
なんてことを誰と一緒に仕事するわけでもない日々を過ごしつつ
最近とみに感じたりするのでした。