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山水郷チャンネル #12 ゲスト:宮川将人さん(くまもと☆農家ハンター)[後編]

山水郷チャンネル第12回目は、宮川将人さん後編です。

Profile: 宮川将人 くまもと☆農家ハンター
三代目の花農家として熊本 戸馳島で生まれ育つ。小学校の卒業文集で書いた「子どもに喜ばれるような仕事がしたい。父の後継ぎをして世界一の花屋になりたい」そんな夢を実現させるため、東京農業大学卒業後、アメリカで2年間の花修行をした後、家業の(有)宮川洋蘭で仕事を始める。
地方こそネット活用が大切!との思いから自らサイバー農家と名乗り、2007年 妻とwebショップ「森水木のラン屋さん」をオープン。いくつもの苦難を乗り越え2017年に楽天市場の年間グランプリ賞、さらに日本でいちばん大切にしたい会社大賞を受賞。
2016年より若手農家仲間120人でイノシシ被害対策チーム「くまもと☆農家ハンター」を立上げ、持続可能な地域づくりに尽力。その活動は国連のSDGs優良事例として紹介され、GOOD DESIGN 2019 コミュニティデザイン賞、さらに第49回日本農業賞を受賞。
2019年に(株)イノPを起業し、民設民営のジビエ処理施設をオープン。地域課題解決型ビジネスに挑戦中。

後編では、花農家、サイバー農家としての活動を軸に、楽天でブレイクするまでの話から将来のヴィジョンまでじっくりお聞きました。


インターネットを使えば可能になる

農家は、今までBtoCをやろうとした時に、農園直売しかなかったと思うんですね。でも、なかなかスケール(拡大)する事は難しくて。
島にいても、東京とか経済圏から外貨を獲得できる方法がないかなと考えた時に、インターネットを使えば可能になるんじゃないかと。
ちょうど僕がアメリカから帰ってきたのが2005年くらい。2007年の妻との結婚のタイミングで、ネットショップにチャレンジを始めました。島にブロードバンドが来た事も大きかったです。
アメリカにいたのは2003〜4年頃。レモン農家の親父が、葉っぱもついていないような苗木を200種類くらいたくさん持っていて、これをどうやって売るんですかって聞いたら、全米中からの予約でほとんど埋まっているんだぞ、全部ネットで予約を受けてるって話をされて、なるほどなと。ネットを使えば、あれだけ広いアメリカでもBtoCの商売が生産者としても成り立つ蘭=胡蝶蘭っていうイメージがあると思うんですけど、蘭って植物の中で一番種類が多いんですね。普通、蘭って三本くらいお辞儀をするように開店祝いに並んでると思うんですけど、僕が勉強したアメリカとかオランダでは一本をナチュラルな状態でキッチンとかテーブルに置いてカジュアルに自宅で楽しむっていう文化だったんです。これをぜひ日本でチャレンジしたいなと思って。それで "リビングオーキッド" っていうシリーズを、アメリカかぶれの三代目がやり始めたって感じでした。

農家である強みも、失敗談もブレイクポイントに

既存の流通の中では小さい蘭って値段もコンパクトだったんです。今までは豪華さとか華やかさが蘭に求められていたので、可愛いとかオシャレだっていうのは普通には刺さらなかったんですね。
ただ、僕は絶対に喜ばれるっていう自信が勝手にあったので、既存の流通ではダメだけど、BtoCで直接お客さんに聞く事によって反応があるんじゃないかなと。それが僕らのネット販売の機会だったんです。
2年間は全く本当に月10万円くらいしか売れなくて、妻との新婚生活はずっとパソコンに向き合ってたんです。
2009年の10月10日に、長男が誕生した時に、めちゃくちゃ嬉しくて。僕も父親になった、妻も母親になったって、誕生祭のイベントをしたんですよ、ウェブの中で。僕ら父になりました母になりましたっていうメルマガを打って。
妻がすっぴんで子を抱く姿を喜び満点でメルマガで送ったら、めちゃくちゃ反響があって。幸せにあやかりたいとか、おめでとうって注文が入って、一気に売り上げが10倍くらいになったんです。
回り始めるまでのサイクルはすごく難しかったんです。はじめはちょっと格好つけて売ろうとしていたんですよ。おしゃれにしようとか、カフェみたいなページを作りたいとか思ってたんですけど、農家である僕らの強みって何だって思った時に、結果的には、思いっきり温度感のあるサイトに切り替えた事によって、それを求めたお客さんが繋がっていった感じでした。
2011年に楽天総合ランキングで1位になった事があるんですよ。Mr.Childrenのアルバムに勝ったっていう伝説の出来事なんですけど、その時のブレイクの理由ははっきりわかっていて、僕の失敗動画を上げたんです。先輩から受け継いだ"母思い"という花を何としても受け継ぎたいと思って、周りに止められたけれどもやって、大失敗して。皆さんの給料が遅れそうになるくらい本当にピンチになってしまったけれども、とにかく諦めずに作り続けて3年後にすごく素晴らしい花ができてっていう、自分の失敗談なんですけど、それをシンプルな動画にしてお伝えしたらそれがすごい共感を生んで。
ウェブで言うと100人きたら2、3人しか買わないっていう転換率が、私達は通常7〜8%あるんですけど、その動画のおかげで29.7%になったんです。そうなると、もうブワーってアクセスが集まって。皆さんが共感して買ってくださったっていうのが大きなブレイクポイントだったと思います。


自分の人生の目標はここじゃない ー 「先義後利」を実践

今の話まで聞くと良い事ばっかりに聞こえますけど、良い事ばっかりじゃなかったですね。
楽天1位になった時に、僕は売上1000万円を目標にしていたんですね。でも結果的には5000万円売れちゃったんです。
なんとか商品はお届けできたんですけど、自分達のキャパを超えすぎて、いろいろ間違いも起こしてお客さんに迷惑をかけたりとかで、半月くらい心労が溜まってた時に倒れてしまって。34歳の時だったんですけど。AEDをかけてもらって生き返ったような経験をしました。持病も何もなかったですから、心労が重なりすぎてしまっていたんだと思いますけど。
麻酔から覚めていく時に、俺がやりたかった事って本当にこうなのかなって思ったんです。とにかく島を元気にしたいっていう気持ちで花作りをやってるんですけど、事業拡大させる為には売上が必要だ、その売上をいけるところまでいこうって、「足るを知らない」状態だったんですよ。
気づいてみると欲張り過ぎて、結果的には人に迷惑をかけた上に自分の体にも限界が来ていた。あ、死ぬかもしれないって本当に思いました。ちょうど2人目の子供が妻のお腹にいる時で、俺がもしここで死んだら会社はどうなるんだろう、家族はどうなるんだろうってすごく考えて。そこで自分の人生の目標はここじゃないな、お金じゃないんだなって思いました。
人に必要とされたり、ありがとうって言われる事こそが、自分が人生で叶えていきたい究極のところだなと。それを悶々と考えていた時にちょうど出会った言葉が“先義後利“っていう言葉だったんです。先に義を尽くして、後で利が返ってくるっていう。
“先義後利“って簡単に見えるんですけど、世の中のほとんどの人は“先利後義”なんですよ。いつか自分が事業とか何かで豊かに富を得たり、儲かったら世の中に還元しようかなって皆思うんですよね。でも僕は死にかけた経験から、今自分の人生の中でできる内に、ちょっと背伸びをしてでもやれる事はやろうと思いました。
そこからじゃあ自分達には具体的に何ができるか。思っててもやらなかったら思わなかった事と同じだと思っているので。それで始めたのがネット1件の注文につき100円の募金っていうのを始めたんです。とにかく細くても長くやっていこうっていう気持ちでずーっとやってきて、2011年の東日本大震災の後からずっとやってきたのが、2019年の6月に1000万円になりました。
本当に有り難かったなと思います。私だけじゃなくて会社の皆もそれに賛同して、青臭いですけど世の為人の為に自分達のお金をちゃんと使えるっていう事を実行できたっていうのは、宮川洋蘭としても私が経営者になる上でもすごく大きな事だったなと思ってます。


アンディ松井さんと両親の背中

僕は東京農大に行っていたんですけど、大学3年生の時に「世界のフラワービジネス」という本に出会って、そこに書いてあったのがアンディ松井さん。カリフォルニアで一代にして100億円くらいの資産を作り上げた人なんです。
この方のもとで2年近く勉強させてもらいました。とにかく厳しい人でしたし、元旦の朝しか休まないんですね。とにかく死ぬほど働いていて。この人が何の為に働くかっていうのをボソッと言ってくれたのは、「俺はこのアメリカに来てこれだけ事業をさせてもらっているけど、それを支えてくれたのは貧しい移民の方達だ。自分が成り上がったと思っては誰でもお終いで、自分を育ててくれたこの地域に恩返しをしていく為に、貧しいっていう理由で大学に行けない子供達に奨学金を作りたい。1年間で1人100万円を出す。それで彼らをちゃんと大学を卒業させてあげて、しっかり教育を受けて地域で役に立つような人になってほしい。だから俺は何百人でも何千人でも送り出したいから、この花仕事で一生稼ぎ続ける」っていうのを言ってたんですよね。実際に僕は寄付式に行ったんですけど、それが忘れられないですね。全く知らない移民の子供の為に、自分が稼ぎ出したお金を全て使っている。

奈良の農業高校出身でアメリカに渡って成功したんですけど、4人の子供に"ハーバード(大)に行けなかったら皆パパの跡を継げ"って言ったらしいんですよね。だから4人ともハーバードに行ったっていう伝説があったり。3年前に長女さんがパパの生き方を見て是非跡を継ぎたいって言って帰ってきて、更に絶好調で続いています。ただお金儲けだけの為の事業だったら継がなかったと思うけど、地域や人に対してこれだけ使命を持っている事に意義を感じたって事で。
どんな仕事でも、農業じゃなくても、ありがとうって言われたり必要とされる仕事っていうのは尊いですよね。逆にありがとうって言われない仕事って、見てても辛そうな感じはするんですよね。例えどれだけ稼げたとしても。
僕が農業という道を疑問なく選べたのは、両親が楽しそうにやっていたっていうのはやっぱり大きかったと思います。農家は一緒にご飯を食べられるんですよ。サラリーマンの家庭って結構難しいじゃないですか。僕らは19時になれば必ず家族で食べてましたし、その時にお客さんがこう喜んでくれたとか、あの花がすごい良かったとか、そういうのを背中で見せられてたなっていうのも思います。
たくさんの蘭を作って市場に出荷して花屋さんに行って、完全にBtoBの花作りをしてたんですけど、良い意味で言えば僕がアメリカから帰ってきて、伸び代がすごいたくさんあったって事もあります。特に販売の事に関してですね。
島なので、毎日海を見ながら周りの田んぼの風を感じながら花を作れる、豊かな中で仕事ができて、それでちゃんと生活していけるって、本当に恵まれているなっていうのは、大学で東京に行ったからわかったんだと思います。
更にアメリカまで行ってオランダまで行って、僕が生まれ育った戸馳島っていうのはどれだけ豊かな所なんだっていうのに気づいたので、事業がどれだけ拡大しても他の地域でやるっていう選択肢は今までもこれからも多分ないと思います。


世界一の洋蘭農家になる

世界一の洋蘭農家になるっていう想いはあります。これは明確に小学校の卒業文集に書いていました。
小学校の卒業文集に、僕の夢は二つありますって書いていました。一つは"子供に喜ばれるような仕事をしたいと思っています"。もう一つは、"父親の跡を継いで世界一の花屋になりたいです"って書いてあるのが…僕は忘れてたんですけど、それが後から出てきてうわって思いました。
東京に出たのは、娑婆を知らなければいけないと思って。
中学校の時にお会いした父の恩師が、将来小さい池を泳ぐのか大海を泳ぐのかどっちだって聞かれた時に、大海って答えたら、東京に行って娑婆の勉強せんかって言われたんですよね。東京に行けばいろんな人がおるぞって。将来自分が農業したいと思うんだったら、友達が全国にできるけん、行ってみらんかって言って。
農大に行って、そしたら世界を旅してる奴とかもいてですね、それですごく刺激を受けて、1年生の夏休みからインドに行ったりエジプトに行ったり、バックパッカーとして13カ国くらいを安く長くちょっと無茶な旅をしていました。
宮川洋蘭として、元気な花で笑顔をお届けするっていうのは、僕の事業目的は地域を活性化させる事なんですね。地域を活性化させるには仕事を作り出すっていうのは僕の中ですごく大きな役割です。例えば安価な海外に行って作ることもできるかもしれないけど、この地域で心身共に豊かな仕事を作り出す事ができたら、すごく価値があるなって思ってましたし、それは父も既にしていた事なので、それをもっと拡大させる為には、インターネットを活用すれば、より付加価値があり、お客さんと繋がれるような豊かな商売ができるんじゃないかなと思いました。

僕らはどうやってお客さんの期待を越えようかっていう事をすごく考えているんですよね。例えば、ネットで電池を買って翌日に来るっていうのは当たり前で何の感動もしないですよね。前は早いなあとか思ってましたけど。じゃなくて、そこにどうやって温度感を持たせるか。直接会わなくても有機的なサービスだと思うので。
ネットの蘭屋さんから買ったよとか、楽天から買ったよじゃなくて、僕らは"森水木のラン屋さん"から買ったよってちゃんと覚えていただきたいと思っているんですね。
なので、実際に10回以上買ってくださるお客さんって1500人くらいいらっしゃるんですね。同じネットショップから10回って多分ほとんどないと思うんですよね。そういう人達に支えられて、愛していただいているお店として、コロナ禍での花業界っていうのはメタメタな状態だったんですけど、私達は過去最高の売り上げを記録したような状況になりました。
普通のネットの商品って、多分商品画像しかないんですけど、実は皆さんが買われるところでは、絶対に僕らの顔を見なければ買えないようになっているんですよね。それが僕らもやりがいになりますし、レビューに繋がったりとか、口コミに繋がったりとか。だからこそ、いろんなものを自分達らしさにもっともっと繋げて、繋がっていきたいなってすごく思います。
売り上げを目指してしまうと前のような間違いを起こしてしまうので、それは後からついてくるものだと思って、お客さんの満足度をしっかり高めながら、また買いたいとかあの人に勧めたいって言われるような運営をやっていきたいですよね。
且つ、働いている人達がお客さんを喜ばせた分、自分達も豊かになれるような仕組みっていうのを目指していきたいなと思っています。


続けてきた事が形になり、繋がっていく

農家ハンターの事業も、株式会社イノPを立ち上げて大きくなっているんですね。
昨日空き家の購入が終わったんですよ。そこの空き家に住んでもらいながら、これから研修生として働いてもらう人を今まで募集していたんですけど、先々週に東京のイタリアンシェフから申し込みがあって。その人はミシュランシェフなんですね。その人はこれから8月のお盆過ぎにこっちに来る事になっているんです。料理を極めた人が、本当に自然のお肉っていうところから自分で作り上げたいっていう気持ちを持たれてて、捕獲とかにもしっかり携わりたいとお話しされていて。
そもそもどうやって僕らの事を知ったんですかって聞いたんですよ。そしたら、妻がネットショップで農家ハンターショップからハムを買って、それを何気なしに食べたら、何このハム、すごい美味しいけど何?って聞いたら猪のお肉だって聞いてびっくりして、それを辿ってホームページを見たら農家ハンター道場って研修生の応募があったから、これから僕がやりたいのは正にこれだっていうので申し込みをされたと。
いろんなところから繋がるんだなっていうのを正に体験したところで。僕らは今まで捕獲とかっていうのは年間1000頭くらいしてきましたけど、料理とか食べさせる事については今まで特に強みがなかったんですよ。それが一気にミシュランシェフが東京からやって来るって誰も想像できないですよね。

12年間サイバー農家と勝手に言い出して、Facebookとかもやってるんですけど、生き方のプレゼンテーションをしているつもりでいるんですよ。僕はどういう気持ちでこういう人に会ってこういう事を学んで、とか。僕はこんな人間でこんな事を目指してるんです、こんな夢を持っているんです、こんな人と繋がりたいんですっていうプレゼンテーションをずーっとFacebookを中心に10年くらいやり続けているので、その輪が今、食べるとか繋げるとか生かすとかって言った時に繋がり始めているんじゃないかなって思っています。

将来のヴィジョンは、近い話で言うと、サスティナブルな鳥獣対策、猪対策っていうのがかなり形ができてきたので、それをフックにジビエツーリズムっていうのをやろうと思っています。
猪の事を一緒に勉強しませんか、ジビエの事をどうのこうのとか、海の体験とか島の体験とか、体験型の宿泊プランっていうのを、この秋にモニターツアーみたいなのを既にいくつか組んでいて。それで島に人を呼んで、しっかりお金を落としていただきながらも、全国、世界でここでしかできないような体験っていうのをたくさんしてもらおうと思っています。
それは今まで僕らが磨いてきた武器だと思うし、今まで自分が好きだって思ってた事だけじゃなくて、それを実際に外から来て経験してもらえる、正に今ワーケーションとかいいタイミングになってきたなって思ってるんですよね。
空き家を後2つくらい買おうと思ってます。その中でイタリアンシェフがジビエのフルコースを出してくれたりとかしたら最高ですよね。


前編後編を通して、3つの役割に分かれながらも全ての活動に共通する宮川さんの熱い思いや生き方が伝わりました。
動画では、NOTEに書ききれなかった内容も更に伺えます。
ぜひYouTubeでもご覧ください。


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