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ミドサーが考える、歳を取るということについて。

今年35歳になるが、ここ数年で老後や死についてすごく不安に感じるようになった。人生まだまだこれから!と思える時もあるけど、老いについて考えることが増えた。
離婚して経済的に苦しくなったから老後が不安、というのも勿論あるんだけど、離婚後実家に戻り、両親と祖母との同居をしたことで「あ、歳を取るとこうなるんだ」と気付かされることが増えたというのが大きい。
自分が80、90歳になったら…そんなに生きているかそもそも分からないけど、平均寿命を超えて生きるのは一概に幸せなことではないかもしれないと、それはそれで辛い部分や、家族に迷惑をかけることがめっちゃあると気付いて、「どうやって歳を取っていったら、いつどうやって死んだら娘に一番迷惑がかからないのか。そのためには何歳までに、いくら残しておく必要があるのか」ということを、今から考えて生活しなくてはいけないんだと痛感した。

祖母は実年齢にしてはとても健康な人なので、90になっても自力で歩けて、階段の昇り降りもできるし、入浴やトイレの介助も不要で料理もできた。薬の服用はほぼなく、ご飯も普通に1日3回、一人前を食べられた。それでも年相応に物忘れをするようになり、それが年々悪化して認知症の典型的な症状が出てきた。祖母とのコミュニケーションが難しくなってくると、一緒にいない時は「祖母は認知症なんだから、祖母に悪意は全く無いんだしもっと優しくしなきゃ」と思うのに、同じ空間にいると優しくするなんて全然無理で、いつしか私は祖母に対して、今までのように「いつまでも長生きしてほしい」とは思えなくなっていた。私は孫たちの中で圧倒的に一番祖母のお世話になったし、祖母の作るご飯が大好きで、一緒に旅行したり出掛けたりもたくさんした。それらの思い出が消えたわけでも無価値になったわけでもないけど、その一方で、老いた祖母と暮らすことは私にはとてもしんどかった。
これはもちろん、数十年後に私が今の祖母と同じように何も覚えていられなくなった時には、私自身も娘や(もしいれば)孫たちに同じように思われる覚悟が必要だという、自戒の念を込めて書いている。

そんなしんどさを感じながら生活していた時、東京に住んでいる伯母が仕事中に倒れ、その後運ばれた病院で悪性腫瘍が見つかった。祖母より先に伯母が倒れるとは思っていなかったので、この出来事は私達にとって大きなショックを与えた。「人生いつ何があるか分からない」と頭では理解しているつもりでいても、自分や周りの人に思わぬことが起きた時にその事実を受け入れるのは難しいと、私は身を持って知った。
伯母は医者から「手術で腫瘍は取り除けるが、半身麻痺が残るかも」と言われ、悩んだようだけど周りの勧めもあり、手術を受けた。手術を受けてもう数ヶ月経つが、伯母は半身麻痺どころか、意識朦朧?な状態が続いているらしく、意思疎通も出来ず、ずっと寝たきりで病院にいる。いつもニコニコしていて、ちょっと抜けてるところもあるけど優しい伯母。我が家で祖母との同居がはじまってからは、母も私も、伯母にたくさん愚痴を言ったり弱音を吐いたりしたが、いつもうんうん、と話を聞いて私達を励ましてくれた。
私は、例えこれから車椅子の生活になったとしても伯母には生きていてほしい、と思ったけど、今こうして生きていてもずっと病院で眠りから醒めない状態は「生きている」と言えるんだろうか。もし何年もこのままになってしまうのなら、余命1年しかなくても、手術をせずに本人らしく生きられた方が良かったのかな、などと考えてしまい、今この時も病院で一人寝たきりの伯母のことを思うと、どうしても暗澹とした気持ちになってしまう。

一方、今月遂に祖母はグループホームに入居した(させた、の方が正しいが)。
これは一年以上前、伯母が倒れる前から決めていたことで、このことにより、正直なところ我が家の暮らしはかなり平和になったと言える。祖母のことを気にかけなくていいというだけでストレスが大幅に減ったし、これからは旅行や外出、外食もほぼ好きなようにできる。祖母にとってだって、あまり会話してくれなくなった優しくない家族と暮らすより、ちゃんと話を聞いてくれるプロと過ごした方が、きっと幸せなはず。
本当なら伯母にも報告して「よかったね、同居は大変だったよね、今まで頑張ったね」と言ってもらいたかったのに、伯母の方がよっぽど大変な状況になってしまったので、何となく全てに対して「これでいいんだろうか、よかったはずだけど…」という、複雑な気持ちでいる。甘えでしかないけど、今までを見てきてくれた人に、私たちを肯定してほしかった。

祖母はホームに入れたくせに、伯母には元気で暮らしてほしいとか、そんな風に想う資格あるわけないのに。
今までに起きたことも、今の感情も、変えようと思って変えられるものじゃないから困るし、深く考えずに生きるのも意外と難しい…。

「長生きしたいな」とはそう簡単に思えなくなったけど、かといって早死にしたくないし、病気でずっと入院してるような生活になるのは嫌。突然の事故で、何の覚悟もないまま死ぬのも嫌だし、出来るだけちょうどいい時に、なるべく苦しまず、娘には迷惑かけずに死にたい。
娘には元気でいてほしいし、お金の心配をせず楽しく暮らしてほしい。でも親が離婚しちゃった今、そうもいかないだろうから申し訳ないな。そう思って保険とか投資とかの話を聞いて考えてるけど、それで大丈夫かどうかだってその時にならないと分からないし。一人娘だからずっと仲良くしていたいけど、私のことなんか背負わなくていいから、好きなことして楽しく健やかに過ごしてほしいな。私がもう一人産めていたら、姉弟で色々相談したり愚痴言えたりして気楽だったかな。

これでも全て曝け出したわけじゃないのに、なかなか最低な記事になったなと我ながら思うけど、介護ってまじで見聞きして想像してるよりよっぽど大変だし、結果として誰にとっても他人事ではないんじゃないかと思う。高齢の親族との同居とか面倒みてる、という話を聞くと、偉すぎる、無理してない?大丈夫?と思うようになった。
いつか終わると分かっていても、いつ終わるのか分からず状況は確実に悪くなる一方で、良くなることが絶対にない生活は、絶望的でしんどい。
介護や同居でストレス溜まってる人や、施設に預けて罪悪感抱いてる人がいたら、ストレス感じるのは当たり前だし、本当に頑張ってるし、偉すぎ大賞受賞ですおめでとうございます、と言ってケーキでも奢りたい。

歳を取ることなんて怖くない、なんて私にはとても言えない。年齢なんか関係ない、とは少しも思えない。
でも、誰もが必ず老いるし衰えていくということを忘れてはいけないと思うし、出来るだけいろんなことに備えて歳を重ねるしかないのかな…と、今は思う。

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