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好きだった気持ちは無くなったわけじゃなく、忘れていただけだった。

今月12、13日にさいたまスーパーアリーナで行われるはずだった6年ぶりのBackstreet Boys来日コンサートは台風で中止になった。(※大阪公演は行われた)
私は13日のチケットを持っていたんだけど、「6年間!ずっと心待ちにしていた!!この日!!!」というわけでは全くない。寧ろ来日コンサートのことなんてつい先月まで全然知らなくて、ふと気になって調べてみたら「あれ?来月BSB日本来るじゃん!?」と。たまアリの13日公演だけチケットがまだ余っていて、たまアリならうちから30分くらいで行けるしな~久しぶりにBSB観にいこっかな~、くらいの気持ちだった。だから中止のお知らせを見た時も、「まあ史上最大規模の台風と言われたら開催できないよな、でも6年待ち続けたファンは辛いだろうなあ」と、どこか他人事のように捉えていた。久しぶりのBSB、観られるもんなら観たかったなという気持ちはあったけど、正直10年以上まともに聴いていないし、中止になった事実を未練なく受け入れることができた。気でいた。

未練なく、と言いつつ「コンサート行けなくなっちゃったんだし、久々に懐かしのDVDでも観るか」と軽く考えたのがいけなかった。約17年前に散々観たあと棚の中で眠り続けていた"Backstreet Boys The Greatest Hits -Chapter One"のDVDを引っ張り出して再生してみると、そこに収録されている曲、全てほぼ完璧に歌えた。ニックの歌マネ込みで。自分でも驚くくらい、誰がどのパートを歌うかも分かっているし、次にメンバーがどんな動きをするのかも、私の記憶に刻まれていた。

そうじゃん、私、BSBめっちゃ好きだったじゃん…。BSBと出逢わなかったら、当時13歳の私はどうなっていただろう。飽きることなく何時間でもぶっ続けでBSBを聴いていたあの時間は、BSBを知らなかったら一体何に費やされていたんだろう。DVDを観ていたら、この17年でもうすっかり無くなってしまったと思っていた私のBSB愛が止まらないほどに溢れてきた。

何度か書いているけど、私は12歳の時、日本から豪州へ生活を移した。
渡豪した当初、私たちには何もなかった。まず英語力が全くない。友達どころか知り合いもいない。ぶっちゃけお金もあんまりない。豪州に着いた時点では家具もないし家もない、なんなら銀行口座すらない、ってくらい、まじで何もないところから生活が始まった。
物理的な「ない」は、両親がどうにかしてくれた。でも英語ができないことと友達がいないことは自力でどうにかするしかないし、かと言ってそう簡単にできる(ようになる)ものではなくて、思春期の私にとっては非常に重要かつ辛すぎる問題だった。日本の小学校で比較的優等生だった私は、豪州の現地校で自分が「どんな子より英語ができない=何もできない劣等生」であるという現実を突きつけられた。

日常に絶望していた頃に出逢ったのが、母が中古ショップで購入してきた『Backstreet's Back』のカセットテープだった。通学時に車でそのカセットを聴いているうちに歌が好きになってきて、歌っているお兄さんたちに興味が出てきた。ジャケットを見てみると、かっこいい金髪の人がいる。歌詞カードを取り出して中の写真も見てみる。やっぱりかっこいい。…いや待って、人類史上最もかっこよくない…!?
金髪のいけめんお兄さんが歌っていると知り、私は更にそのカセットを聴きまくった。私がBSBにハマりつつあると気付いた母は、娘が少しでも前向きになれればと件のGreatest Hits Chapter One(ちなみにChapter Two以降は今のところない)のCD+DVD版を購入してくれた。DVDを観た私は当然、

「う゛ごぐニ゛ッグがっごい゛い゛~~~~」

となる。もうね、初期~人気ピークの頃のニック・カーターばちくそかっこいいんだよね…。金髪、青い目、高身長、歌うまい、(金持ち、)ってもうただでさえいけめん要素揃ってる上に顔整いすぎなんだわ…。今一度すべての女性に昔のニックの画像検索してほしい。セクシー×かわいいが過ぎて、私は17年振りに再度ハートをぶち抜かれたよ。

13歳の私にとって、ニックは本当にアイドルオブザアイドルだった。当時出ていたBSBのアルバムは全て買って、自分でカセットをいくつも作って(バラードだけでまとめたり、アップテンポな曲でまとめたりしていた)全ての曲の歌詞を覚えた。

BSBの最大のヒット曲「I Want It That Way」のシングルと本曲を収録したアルバム『Millenium』が発売されたのは1999年なので、この時が恐らくBSB人気のピーク。2000年に『Black & Blue』を出した次のアルバムは2005年の『Never Gone』なので、5年くらい活動控え目だった時期がある。私がBSBを知ったのは、中2の2003年。ピークを過ぎていた上にアルバムリリースも無く、言っちゃえば一番ファンし甲斐がない時期だったんだけど、当時の私には全然関係なかった。その頃既に出てた曲は全て素晴らしかったので何百回聴いても聴き足りなかったし、知りたいBSB(というかニック)の情報はいくらでもあった。

BSBのおかげで、私は英語に興味を持てるようになった。BSBは、同級生との会話のきっかけにもなった。それまでは自分から話せることも、人生の背景が異なる同級生たちとの共通の話題も全然なかったけど、「I love BSB」というその一言は私を救った。同級生の男の子からは「BSB好きとか(笑)だっさ(笑)」とからかわれ、たまに女の子からは「BSBいいよね!私も好き!」と言われた。BSBを知らない子なんて当時いないから、いろんな子が私にBSBの話題を振ってくれるようになった。私は「英語ができない劣等生」から「BSBのことが熱狂的に好きな日本人の子」になれた。学生の時のアイデンティティって大事だったんだな。私がBSBを好きスキ好きスキ好きと言い続けていたら「BSBいいよね!」って言ってくれてた子たちがBSBに再熱し始めて、CDを貸したり、うちに集まってDVD上映会したりするようになった。友達ができたのも英語でコミュニケーションを取れるようになったのも、冗談じゃなくBSBのおかげ…。

しかし実際にBSBを死ぬほど聴いてニックと結婚したいとほざきまくっていた時期は、たぶん2年にも満たないと思う。BSBのおかげで友達ができて英語も分かるようになってくると、BSBを聴くということ以外にもすることができたから。学校の宿題も人並みにできるようになったし(英語ができずめそめそしてた時期は、宿題ほとんど母にやらせてたw)、放課後や休みの日に友達と遊ぶようにもなったし、流行りの音楽をラジオで聴くようにもなったから。私にとってBSBが世界の中心だった時間は終わった。皮肉ではあるけど、BSBが私の世界を広げてくれたから。

日本で1回(たぶん2005)、メルボルンで1回(たぶん2006?)、BSBのコンサートに行った。東京ドームで観た時は、ドームの2階の一番後ろの席で、初めて肉眼で見る彼らは米粒の大きさにも満たないくらいの遠さだった。今考えると一番後ろって逆にすごい確率だなと思うけど、当時はなんかその距離感がすごいリアルだなあ、と思った。初めて生でBSBに会える!と緊張しながら慣れない東京まで行ったのに、結局ほぼ見えないじゃん。分かってたけど、所詮私がお金と勇気を振り絞ってもこの遠さが現実か。私、絶対ニックと結婚できないじゃん、みたいな。メルボルンで観た時はもうちょっと近かったし、生歌を聴けるという興奮はあったけど、それでも生で観てみたらそこからもっと好きになった!また行きたい!っていう気持ちにはならなかったんだよなあ。ニックが王子様のようにかっこよかった時代もその頃には終わってるし、自分の日常生活の中にも十分喜怒哀楽があって好きな人がいて嫌いな人もいて、考えることもしたいこともたくさんあって。友達にEvanescenceのライブに連れていってもらったり好きな人の影響でBullet for My Valentineを好きになり彼らのギグにひとりで行ったりしてるうちに、BSBは私の生活からフェードアウトしていった。

そして十数年の時が流れてBSBが記憶の彼方となっていた先月、何故今回の来日コンサートのことを知ることができたのか。それは9月半ば頃のめちゃくちゃ暇だったとある一日、面白い映画ないかな~とhuluの映画一覧を観ていたらBSBのドキュメンタリー映画『SHOW 'EM WHAT YOU'RE MADE OF』(2015)を見つけたから。そんな映画が出ていることも全然知らなくて、たぶん大体の人が思うように「え、BSB、まだ活動してたんだ!」って思いながら観た。私がBSBから離れて遊んだり恋したり子供産んだりしてる間に、BSBは4人になったり5人に戻ったりしていて、でもずっと活動を続けて、ヤク中になったり(AJ)アル中になったり(ニック)ストレス性の病気で今までのように歌えなくなったり(ブライアン)していた。そもそも私がBSBを知る前から彼らはあの世界規模の人気に応えるべく当然ものすごく多忙でストレスフルな中活動していたわけで、このドキュメンタリー映画はその表裏全てを曝け出すような内容だった。当時彼らが送っていた正にセレブそのものな生活、そしてその反面大人の事情で操り人形のように働かされる辛さを彼らは正直に吐露していた。しかし人気のピークを過ぎてもBSBとしての活動を続け、自分自身の問題に向き合い、メンバー同士で感情を爆発させ合いながら藻掻く、もうボーイズとは言えない彼らの姿を見ていたら涙が出てきた。そうして、今のBSBの音楽が聴きたいな、とふと思い、コンサート情報を調べるに至った。するとちょうど翌月来日公演が!(冒頭に戻る)

チケットを確保してBSBの新アルバムをTSUTAYAで借りて聴いたけど、実際にはあんまり実感湧かなかった。だって新曲は全部知らない歌だし。なのにコンサート中止が決まってからDVDを観たら、ノスタルジーが暴力的なまでに押し寄せてきて、YouTubeを見漁り、遂にこの記事を書くに至るというわけです。

ちなみにコンサートの中止が決まったのは初日公演の前日だったので、それまでそわそわしてBackstreet Boysの公式Twitterを頻繁にチェックし、そこからニックのInstagramに辿り着き、彼が結婚して子供もいるということを知り、まあそりゃそうだよね39だもんねとは思いつつも若干失恋した気持ちになった…。そこから更にタグ付けされた奥さんのInstagramやTwitterにはふたりがキスしてる写真普通に載せてるし、お世辞にも美味しそうとは言えないような朝食の写真載ってるし、ああニックは今幸せなのね、あなたと結婚したかったけど、あなたはやっぱりアメリカ人だわ…という気持ち。

最近のコンサート映像とかも観た。悔しいけど観ましたよ、だってもう生で観られるチャンスが、今の私には無いんだもの。馬鹿みたいな感想だけど改めて、めっちゃくちゃ歌うまくてびびった。かっこいいし曲が良いのもあるけど、やっぱり本当に5人とも素晴らしいシンガーで、奇跡的なハーモニーを奏でられる5人なんだなと改めて思った。それだけに、ブライアンが昔ほど歌えなくなっていることに心が締め付けられる…。それでも歌い続ける、ステージに立ち続けるというその彼の強い意志のようなものが痛いくらい伝わってきて、もう本当に強いなと。ブライアンがステージ上で一番ファンサービスに力入れてるのも分かるし。BSBとして生きる宿命をしっかり背負い続け、その責任を可能な限り果たそうとする5人の姿が尊すぎて、これ生で観てたら号泣してるなと思う。

まあそんな感じで、BSBに人生救われて、なのにそれを忘れて生きてきて、またBSBを生で観たいなと思ったら公演が中止になってしまって、悲しくもそれを機にまたBSB愛が復活しつつある今、思うことはひとつです。彼らにはただただ幸せでいてほしい。個人的にはBSBを続けてまた来日してほしいしその時は絶対観に行きたいと思うけど、彼らがもし自分たちの幸せのためにその役割を終えたいと思う日が来るのであればそうしてほしい。彼らの音楽は消えないし、私たちはその音楽と共に、自分たちがティーンエイジャーだった頃の思い出をずっと抱いて生きていく。

そしてこれ書いている途中で気付いたんだけど、私はもうニックと結婚することはできないけど、私の娘をニックの息子と結婚させればいいんだ。何が「いい」のか全く分からないし自分でも何言ってるんだか分からないんだけど、これ思いついた時自分で「名案すぎる…」と思ったことを一応ここに記して〆。

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