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しもつかれうぃーく2024で目指したこと

これは「しもつかれうぃーく2024」が始まる前に
オンラインサロンでメンバーにシェアしたことです。
このしもつかれうぃーくというイベントで何を目指すか。
それを言語化したものです。

 

僕は最近「しもつかれは思想である」と考えるようになりました。

 しもつかれは伝統料理であることは間違いありませんが、
その価値は料理にとどまりません。

 しもつかれを料理とだけ見ることは
しもつかれという存在を「固定的」に考えているからです。

 「分かる」は、「分ける」とも言いますが、
現代は分かりやすさを重要とするため事物を分別してきました。
特に人間は言葉によってあらゆる事物に境界や制度を作りました。

 男女、老若、優劣、善悪など。
分かりやすくはなったかもしれない。
しかしそれは複雑なものを複雑なまま受け入れるわけではなく
世界を静的に、固定的に、単純化しようと考えたからです。
それによって人間は判断するためのエネルギーが不必要となりました。

しかし同時に、固定観念、差別、偏見が生まれました。
言語が生み出す「差異」が分断を生むようになった。
しもつかれという言葉も偏見や差別的思考な言葉となっている側面があります。

しかしその言葉には含まれない、
こぼれ落ちた部分にこそ大切な価値がある。
僕らはそれを拾い上げ、分化された言葉の意味を再構築している。

まさにその一連の行為こそが
「しもつかれ=思想」と考える理由です。

ではその分断をどう「脱・分断化」するのか。

これまで美術や音楽も同じような分別から脱化するために
様々なアプローチが取られてきました。

  • 「美術ではない美術」

  • 「音楽ではない音楽」

言葉からこぼれ落ちた価値に気づき再構築する。
しもつかれも「しもつかれではないしもつかれ」的なアプローチをとってきました。

しもつかれという言語を超えたアプローチ。
それを続けることが、現代の分断化された社会構造を
脱化できる方法論につながります。

仏教思想に『事事無礙』(じじむげ)というのがあります。
無障害や無障碍、無妨害という意味です。

簡単に説明すると、、、

1 心の自由:
心が開かれ流動的であり、そして事物をそのまま受け入れる能力を持つこと

2 無分別心:
分別や判断を超えた心の状態。
これにより、個人は物事をラベル付けすることなく、
または好き、嫌い、良い、悪いなどと判断することなく、
物事を見ることができる

3 無執着:
執着のない心であり、個人は物事に対して執着することなく、
自由に流れることができる

4 現実との調和:
個人が現実と調和し、抵抗や闘争なく生活する

この「事事無礙」の精神こそ、
僕がうぃーくで目指す思想になります。
こんなの誰も達成できていないことですよね。
むしろポストモダン的な現代の理想像だと思います。

僕の仕事は、グラフィックデザインだったり
ブランディングがメインです。
そう、分別を生む仕事です。
デザインやブランディングは「差異の最大化」によって、
自らと他を明確に区切ることにより、
権威化を生み出し収益化を目指すツールです。

現代のマーケティング手法は「差異化」です。
つまり「分別を生み出し利益にする」ということです。
現在の分断化・権威化された世界経済を見れば理解できると思います。

僕の仕事は分別化に大きく加担していると言えます。
そう気がついても、現代のビジネスモデルから抜け出すのはほぼ不可能です。
だからこそ逆をしもつかれで目指したいと考えるようになりました。

しもつかれが持ち合わせる精神性と
事事無碍の概念は近いものがあります。
だからこそチャレンジしたい。

正直僕もどうなるか見えているわけではありません。
でもこの思想を元に「しもつかれうぃーく」に
チャレンジすることこそが僕自身のチャレンジなんです。

「無分別化」。
完全でなくても、一時でもその瞬間を目指す。
そんなコンテンツをたくさん立ち上げ、
来場者に体験してもらうことで
しもつかれの事事無碍精神に気づき、
ただ単純に無分別に楽しんでもらえたらと思います。


以上です。
そんなイベントを目指しました。
さて、その答え合わせはどうだったでしょうか。
まだまだ先は長く深いですね。

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