「どうやるか」から「どう在りたいか」(DOからBE)年収PL発想から、資産と投資BSの発想へ
GPTの登場の本質的な意味を考えた時、この発想転換が大切だと考えたので考察します。
写真はマニラの中心地
GPTによって成し遂げられることを端的に言うならば「最適解」だと思います。
今ある情報の中で最適な解を導く。
今は多少精度がどうとかいう意見もありますが、世界中の頭の良い人と相談して「この問題を解決するにはどうしたら良い?」
に対する最適解を導くのがGPTの本質だと(今のところ)思っています。
さて、私達は個人として生きるとき様々な悩みを持ちます。
-どのような働き方をするのが良いのか?
-何を学ぶのが価値を高めるのか?
-どんな資料を作るのか?
-どんな自己紹介をするのか?
一見バラバラな、これらの問の向こうには共通した「あるべき姿」が見え隠れします。資本主義世界の中の「成功」という方向です。
マニラの中心地のように。
最適解というのは、
現状と理想の姿の方向が定まっていなければ意味がありません。
そういう意味で方向が決まっている問については、自分で考えるより最短で最適な解を示してくれるのがGPTでしょう。
「金持ちになりたい」と聞いたら教えてくれるでしょう。
年収を高めるとかPL(損益)を良くする為にどうするのが最適か?(DO)
について考えることのできる力が、今までの価値の源泉だったように思います。
もてはやされるインフルエンサーや、事業に成功した人は、DOについて最適な方法を考えるのが得意な人です。
しかし、そこを取って代わられるのがGPTショックでしょう。
では人は何を考えるのか?
それは「どう在りたいか」すなわちゴールの方向を決めることの重要性が増すように思います(というかそれしかない)
個人で考えたとき、我々の持つ原資の代表は
お金と時間
でしょう。そのお金と時間という資産をどのように配分するのか?(投資するのか)
その方針は「どう在りたいか?」という解の方向がなければ意味がありません。
常に変わるかもしれない「どう在りたいか」という問いの解を持ちながら限られたよ時間とお金を投資するのが人生です。
そして解がわかっている問の最適解はGPTが教えてくれます
私達は「どうやるか?」という問いに多くの時間を取られることで、「どう在りたいか?」という問いをあまり考えてきませんでした。
GPTの登場で「どう在りたいか?」の意味が大きくなっていくと思います。
マニラの中心地をなんとなく求めるならば、人間としての存在理由が危ぶまれます
「どう在りたいか?」
については続編で。
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