子供がいなくてもいいと思ったのはいつのことだっただろうか
わたしは先日30代の壁を突破した。
そうなると出てくる問題がある。
結婚はしないのか?子どもは作らないのか?
女性は35歳を過ぎるとダウン症の子を産むリスクが増大する。
そもそも28歳の頃は子供が欲しくてたまらなかった。
わたしにはパートナーはいるが結婚できるかが問題だ。
相手はいても安定して仕事についているかが実際問題重要なのだ。わたし的には給料は少なくてもいい。
けれど、病気で辞めがちとなると色々考えてしまうものがある。もちろん、パートナーのことは好きだ。
好きだからこそ、結婚できない。子供なんか作れるのだろうか。
運命のいたずらとはこのこと。
だけどそんなある日、あの事件が起こってしまった。
妹が死んでしまった。
その事実を仕事帰りに聞くことになる。
不意打ちだった。
実をいうと、妹は家出少女だった。
居なくなっては帰ってくる。
気持ちはわかってしまった。
なぜならわたしの家は居心地が悪いからだ。
母の病気から始まり、仮面夫婦で会話は子供を通じてする。そして妹も母と同じ病気になった。
弟は一時メンタルを崩し、高校からすでに家を出て学校近くの宿舎で一人暮らしをしていた。
なのに、わたしは当時から付き合っていたパートナーからの「家から逃げておいでよ」との言葉に甘えて妹を残して家を出てしまった。
父や親族は妹の死の原因は母にあると思っている。妹が家から出ていくときに、母が止められなかったから死んだのだと。
母は今でも自責の念に駆られている。
そんな母から産まれたわたしなら、子供ができてもうまく育てられるのだろうか。
そう思うようになってしまったのだ。
そんな妹の命日が今日だ。
お墓参りに加えて実家の机に作られた妹のスペースにお供えものを添えに行く。
その机にはわたしと妹と弟の写真が何枚も飾られ、お菓子が所狭しと並べられている。さらには、トロフィーが9つほど隅に置いてあった。
いや、わたしは生きてるぞ!弟もだし!
全員故人かのように飾られているけど、わたしは今ここにいるぞ!
トロフィーは全て妹のものだと言うけれど、わたしも少なくとも小さいのと中ぐらいのは1つずつ習字でとったよ。すべてを妹に変換しないでくれ。
妹を大事に思うのは至極当然のことだけど、今いる人を大切にしてくれよと母に言いたかった。
妹が昔カウンセリングを受けた少し霊感のあるカウンセラーは言った。
「妹は死にたかったんじゃない。死んでみたかったんだ」
そうなのか?本当に?
妹の性格を考えるとありえなくはない。
だけどなんだろうか。
この人の霊感はもしかしたら本物かもしれないけれど、やっていることが胡散臭い。
なぜなら、このカウンセラーは占いとカウンセリング業をしていて妹のことを宇宙と交信できると言っていた。宇宙人と言いたいのだろうか。
人の悩みを聞いておいて、『宇宙と交信ができるから人になかなか理解されにくい』という答えを商売にするのはどうかなと思う。本人としては救われているのかもしれないが、それでお金を取るのは許せない。
ちなみにわたしも見てもらったが全く当たっていないのでやってもらったタロット占いも「どうせ当たらないだろうな」と話半分に聞いていた。
強いて言えば、妹は危なっかしいところがあり暗闇があればおもしろ半分でその奥へと行ってしまう。
これは人から理解されにくいところかもしれない。
わたしもその気はあるかもしれない。
以前妹と知り合いのおじさんにキノコ狩りに連れてもらったときは、2人で山の奥に入りかけ、この先に行けばもう戻って来れそうな所まで行ったりした。
「この奥、なんか気になるよね」
「うん、なんかね」
「行ってみない?」
こういった誘い文句を言ったのは実はわたしだ。
その山には大きすぎて明らかに人ではない熊の足跡のようなものがあった。遭遇しなくてよかった。できればこの先も会いたくない。
妹とわたしが違ったのは、もうすでに辛い経験をしているかと誰か話しを聞いてくれる人がいるかだった。
わたしは死のうかと思うほど辛い恋愛をしたことがある。相手がスポーツで新聞や地元のテレビに映るようになって「なんであいつなんだよ!!」と誰だかよくわからない人に予備校で怒鳴り散らされた。
結局わたしの予備校ではこの噂話でもちきりになり、勉強どころじゃなくなった。
悲しいことに妹がいなくなった今でも1番絶望していたのはこの時期だったといえる。
誰かのために頑張る必要があるのに、わたしにはどうにもならないことを言われる毎日。
どう足掻いても現実を変えれそうにない。
そんなことがあった。
今では何かあってもこんな経験以上に辛いことはないだろうと思って生きている。
こんな家族事情があるわたしでも、いつか結婚して子供ができたらそれは奇跡だと思っていたし半ば諦めていた。
だけど、幸せそうに子どもと映っている若かりし母が写る家族写真を見ていると思う。やっぱり子供を育ててみてもいいかなと。
わたしがそこに写る母の年齢近くなってしまったからだ。
子供を育ててみてもいいかと思ってしまった。
こうなると安定した稼ぎのない彼と結婚できても子供を育てる方法はわたしがより稼ぐか彼に頑張ってもらうかなんだけど。
最近は物語を作ることが、趣味から仕事になればおもしろいだろうと思うんだ。
物語に触れて触れて触れて、寝たら夢でその日みた物語ベースで違う物語が構築される。
見た物語とわたしの身の回りにあった出来事や、はたまた見たこともないような出来事が組み合わさる。
だから、朝に目覚めると”やばい!コレはメモしなきゃ!早くしないと忘れる!”
と飛び起きるのだ。
前にあったのは、世界が終わりを迎えたオープニングのアニメを見て寝たら、世界の人口比が変わり、男が消え、女ばかりの世界になった。といういかにも大人向けアニメの最初のような夢を見てしまった。
わたしは、ハーレムものを描きたかったんだろうか。
少女向けアニメの原作を書けたらいいのだけど、わたしはどうもアダルトに入らない程度の大人向けドロドロ恋愛ものが得意みたいだ。
どうしてだろう、見るドラマがそっち寄りだからだろうか。
終わりが見つからない夢も見たことがある。
寝て起きると、まだ11時。もう一度寝て何度起きても11時とかね。
それは、全部夢の中で眠っている。その時間から抜け出せない物語だ。
そのときは、きっと次の日に仕事の行事があったので現実逃避をしたかったんだろう。
小学生の頃は、妄想が趣味だった。
良いこともぐるぐる考えるし、悪いこともぐるぐる考えてしまう。
それが、わたしの短所だった。
でも物語に触れることで、それが長所に変わった。夢を見ながら、きっとわたしは何かを考え続けているのだろう。
後はライティングが問題だ。
そう思い、小説を漁り、わからない単語や使いたい表現をメモに書いて見返すようにしている。
もともとわたしの語彙力はないようなものだ。
早くに英語を習ってしまい、わからない単語は英語でも通じるものは英語で言うという外国人のような癖が小学生の頃からある。
そのぶんの知識をつけるのに必死だ。
先日、論理力をつけようと国語の教材を買った。
学年を遡って一から学べばいいかなって思ってね。
論理国語を小学1年レベルで学ぶ本が家に届いた。
いや、戻りすぎたよね。
昔から知っている国語では有名な先生の本を買ったのだけど、さすがに一年生は戻りすぎた。
「を」とか「お」の選択なんかだ。
さすがに2、3年生からやればよかったかなー?
あれ、あまり変わらない?
それほど自分の論理力はつけた方がいいと思っている。
このドリルの一年から六年までをやって、この先生のまた違う演習ドリルを買おうかな。
漫画原作の練習にはなると思うのだけど、小説はどうかな。このドリルをやりつつ、小説も書けばいいかね。
最近じゃ、短編小説のコンテストに作品を出してみたいななんて思っている。
わたしの夢をうまい文章で書ければいいよなって。
うん、まずドリルをやって小説は先生に添削してもらう!そうしよう。
こんな夢追っかけ人のわたしに、こどもができるかな。
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