「虹の橋を渡った」は私の心を慰めてくれない。
16年飼った犬が亡くなった。
それから少し時間が経って、今日が月命日だ。
ミニチュアシュナウザーで、その中でも小さくて、猫っ毛で、散歩よりも家で寝ることが好きで、何よりも食べることが好きだった。食い意地の塊。鳴き声は小さく、自分を人間だと思っていて、犬が苦手でカラスを目の敵にしていた。雷や花火の音が苦手で、手を叩いてもその音が怖くて洗面所に逃げるくらいの臆病者だったなあ。
ある時、大きな病気を患って水すら飲めず入退院を繰り返した。
いい歳だったし、覚悟を決めねばと思いつつやはり辛くて、痛みや辛さを少しでも背負えればとメソメソしていた。覚悟とメソメソを繰り返しながら過ごすうちに少しずつ覚悟ができてきて、ああ、人間って辛い状態は長く続けられないのだなと変に感心した。
その病気から、2年も生きた。生きてくれた。
1年くらいはおむつが外せず、耳は遠く目もよく見えず、去年の冬には歩けなくなった。寝たきりになっても食い意地は張っていて、イチゴを近づけるとキィキィ鳴きながらジタバタと香りのする方に動いた。その姿がまた可愛かったんだ。
食欲は少し落ちたけれど、食べなかったわけではない。そんな日の朝に、眠るように亡くなった。
家族全員がまあなんとか都合をつけて帰ってこれないわけではない、くらいの日時に逝ってしまったのは、たぶん偶然だ。
よくペットが亡くなったことを伝える時に「虹の橋を渡りました」という表現をする。美しい表現だなと思う。それが心の慰めになる人も多くいると思う。思うけれど、うちの犬が亡くなった時に、その言葉はどうしても言いたくなかった。
だって虹の橋の向こうにあるのはりゅうおう城だから!!!!!!!!!
いや、こんな時にドラクエ話かよ!?って思われるかもしれませんが、染み付いたドラクエ脳はすぐには抜けないのですよ。
それに、そんなきれいな言葉では私のこの悲しみは慰められないし、居なくなった事実も変わらないし、未だにふといるような感じがしてしまうのもなくならない。ずっと覚悟をしながら2年過ごし、亡くなって1ヶ月経ってようやく少し心に落とし込めたかなと思って書き始めたnoteも、涙と鼻水でぐじゃぐじゃになりながら書いている。まだまだ全然辛いよ!!!!
何よりも、あの子はきっと虹の橋は渡れないと思う。
自分のことを人間だと思っていたであろうあの子が、虹の橋の先にある犬たちの楽園に行ったとしてもビビって何もできないだろうから。
走り回るよりも、ひなたを探して寝、ストーブの前に陣取り寝、自分の食べ物も人の食べている物にも執着するあの子に合った場所で、元気によろしくやっていてくれればいい。
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