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人を大人にするのは、煩雑な手続き。

 引越しをした。

 賃貸の実家を引き払い分譲マンションを購入したのに伴って、実家自体を出ることになったのだ。私はそこそこ大きな町から、とても大きな街に引っ越した。晴れて世帯主になった。

 それに併せて待っていたのが各種手配や手続きだ。引っ越し業者の手配、荷物を預けるための手配(本とか本とかオタクグッズとかはほぼ全部一旦預けました。)、物を売ったり、必要なものを取り寄せたり、転出届を出したり、引越しが住んだと思ったら今度は転入届各種身分証の変更銀行の住所変更ネット系の住所変更会社への手続き何某何某…
 タイミングが悪く国勢調査の調査票を取り寄せたりなんかもあって、なんだか毎日何かしらの手続きに追われその度に同じ住所を書いて嫌でも住所は覚えますわな。

 私は中学2年から旧居に住み、それから先日まで居を変えずに生きてきた。つまり、中学2年以降に新規で何か登録したものは、すべて旧居の住所になっている。
 もう大人になってだいぶ時間が経つので、そこそこに給与体系に慣らされ、買い物をし、通信機器を使っている。そのすべてに旧居の住所を登録しているのだ。うへ。

 人を大人にするのは、20歳になることでも、酒を飲めるようになることでも、たばこを吸えるようになることでも、選挙権を得ることでもなく、煩雑な手続きを淡々とこなしていく過程だ。と思い知らされた。
 そう考えると私はまだまだ子どもだ。

 前に「役所に行って住民票を発行する、みたいなことに営みを感じる」ということを書いた。

 まさに私はその渦中にあって、事前に必要なものを調べて持っていき、役所で番号札を引き必要な書類を書き番号を逃さない程度にぼんやりと待ち、見知らぬ役所の人へ用件を伝えてまた待ち、わからないことはわかりやすいように聞き、そうやって頭を使って淡々と(内では面倒くささにげんなりしながら)手続きを進めた。

 新居のある地域の役所も、とても古い建物で、利用する人は多く、老若男女がすこしずつイライラしながらそれでも大人しく待っていた。浮かれていたのは婚姻届を一人で出しに来たよく喋るお兄さんだけだった。お幸せに。

 住所を変えただけでこの大変さだ。もうぐったり。引っ越し作業はやれば終わるし、やって終わることは比較的好きなのでいいのだけど、手続きは自分でやったった感は少ないし、やったところでゴールに待っているのは淡々と続く生活だ。

 こんな、いやむしろもっと面倒な手続きを要する結婚届を出す人のすごさをとてつもなく感じる。ただただ大変で、準備するものも多くて、変えなくてはいけないものも多い割に、結果が名前が変わるのと家族になるだけって、なんなんだろう。もっと特典があってもいい。もれなく旅行券プレゼント!とか。(扶養に入るとか、対外的に色々変化するのは承知しているんですが、私はあんまりその恩恵を受けないような立場なので。。)

 近いうちに、もう少しいい家に住みたいなという願望があるんだけれど、もうあの手続き地獄に巻き込まれたくないなとも思う。引越しを会社の関係などではなく自ら進んでする人のことをこれからは「あの地獄に、自ら進んで入っていくだと…?!」という畏怖の目で見たいと思います。ああ、大変だった。

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