推しの肩書がひとつ減っただけのことで。
うまれてはじめて、推しの引退に直面した。
アイドルは好きにならない人生を生きてきた。一番長年の推しはディズニーなので、こちらは生まれる前からあるしきっと私が死んでもあるだろう。そんな私が10年推してきた人が、唐突に表舞台から去ってしまった。
初めて生の舞台を観たのは大学3年の3月だった。
それよりも前からDVDは観て好きで、先輩と一緒に見に行ってツボにはまった。急きょチケット譲渡をmixiで探して、翌々日にもう一度観た。しばらくは脳内が生の舞台のあの緊張感とスポットライトの光と興奮と、現実なのに非現実の空間と時間に支配された。
それまで生で見るものと言えばライブくらいで、それも熱狂的に好きなバンドや歌手があんまりいないほうだったので行った回数もごくわずかで。
だから、衝撃だったのだ。楽しくて楽しくて、切なかったり真剣になったり、鳥肌が立つようなものを目の当たりにするのが。
それ以来、いろんな経験をした。
何枚チケットを取っただろう。時には地元の会場の公演全通もしたし、他会場にも行った。この人の舞台を観に行っていなければ出会っていなかった人もたくさんいる。「ではまた、劇場で」といって挨拶する仲間がたくさんいる。たくさんのことを考えたし、たくさんいい想いもさせてもらった。もしかしたら今の仕事にも就いていなかったかもしれない。
ああ、感傷的にしかならない。
もっと前に好きになっていたら、二人で舞台に立つ姿が見られたのかなとか(カジャラで観てはいるけれど)、もっとたくさんチケット取っておけばよかったなとか、意地でも本多劇場で観れば良かったなとか、なんならフランス公演行けばよかったなとか。
でも書いていて思うのは、自分に対する後悔しか出ないなーということ。
引退するな、なんて言えないし、なんでラーメンズをやらなかったのかとかの文句は、今とはなってはもうどうにもならないことだ。言ったところで戻ってはこない。推しに関与したいわけではなかったんだなあ、と改めて思う。
最後に生で観たのは「うるう」という舞台だった。それが、あまりにも、美しかった。
過去にも上演されたことのある演目で、初演も観に行ったし、何度も観に行った作品だし、そもそも美しい作品だとは思っているんだけど、今年観に行ったものが、一番美しかった。
なんというか、鮮烈だったんだよな。照明の当たり具合とか、空気の張りつめ方とか、音の大きさとか、そういうすべてのものがビシッとはまって、その時は引退のことも知らないしコロナもそんなに影響がなかった頃だったけれど「ああ、この作品は、完成したんだな」と思って、少し泣いた。人に見せている時点で当然完成はしているはずなのにね。
今となってはの話でしかないけれど、チケットは取ってあったけれど中止になった公演もあったけれど、あの作品が私の最後のパフォーマー・小林賢太郎の姿だったのは、せめてもの救いだ。
…なんて落ち着いて書いているけれど全然実感も湧いていないし正直「ありがとう」も「おつかれさま」も言えるような気分じゃないんだけど!!!!!!!どうしてくれるの!!!!!これからも楽しみにしているから、パフォーマーじゃなくてもたくさん創って「これいいでしょ」って見せてくれよな!!!!!!待ってるから!!!!!
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