『ブラック・フォン』みた感想
スコット・デリクソン監督最新作『ブラック・フォン』を見てきて、とても面白かったのと、電話について色々考えさせられたのでnote書いてみる。
本作のあらすじだが、70年代のアメリカが舞台で(ITやスタンド・バイ・ミーの雰囲気)フィニーという少年が主人公。フィニーの住む街ではグラバーという誘拐犯による子供の誘拐が頻発していて、友達のビリーも誘拐されてしまう。フィニーもグラバーに誘拐されてしまい、目が覚めるとコンクリートで囲まれた地下室に閉じ込められていた。その部屋にはなぜか壁掛けの黒電話があり、電話線が切れているのにジリリリリと鳴り出し。。というお話。
タイトル通り黒電話が印象的な使われ方をしていて、不思議な魅力を感じたのだが、小学生時代の記憶が関係している感覚かもしれないなと思った。
1999年当時、例にもれずノストラダムスの大予言の話でもちきりで、狭い社会で生きている子供には、世界におけるオカルトの割合がすごく大きかった記憶がある。電話の話に戻るが、携帯電話は普及し始めで、子供が1人1台持つような代物ではなく、公衆電話を使って連絡をすることが多かった。
携帯電話が普及すると、電話番号は覚えるものでは無くなってしまったが、以前は覚えるもので、覚え違いや押し間違いによって別の番号にかけてしまうこともあり、電話を掛けることは不安定で、どこにつながるかわからないという怖さを秘めたオカルティックな行為だったように思う。
さらには、"宇宙のパワー"と言われる、掛けると「宇宙のパワーを送ります」と言われる電話番号や、マンモスの鳴き声が聞こえる"マンモス"という電話番号などが出回っていて、学校帰りにみんなで掛けるのが流行っていた。
特に"メリーさん"や、しばらくすると公衆電話が鳴り出す番号など、眠れなくなるほど怖い体験をした記憶もある。
『ブラック・フォン』の原作者のジョー・ヒルとはだいぶ年齢が離れているが、2000年以前に幼少期を過ごした人には、この電話自体への恐怖心のようなものが共通認識としてあり、本作が怖く、懐かしく感じられたんだと思った。
(完全に余談だが、テレクラが流行っていたのも、通話自体の不安定さが吊り橋効果的なドキドキ感を生んでいたからかなと想像した。)
電話が重要なアイテムとして使われている映画といえば『着信アリ』を思い出すが、これも同じ通話という行為の恐怖心を上手く利用したホラーだった。また、『Strange Telephone』というゲームは、この通話の不安定さからくるワクワク感などが上手く表現されていて面白い体験ができる。
スマホが普及している現代では、通話を掛ける時はLINEなど電話番号自体を介さず、宛先を間違えることも少ないし、掛かってくる時も誰からの電話かがひと目で分かるようになっていて、すっかり当時の恐怖心やワクワク感を忘れてしまっていた。『ブラック・フォン』はすごく面白かったけど、共感できない世代もいるのかなと思うと悲しくなった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?