養老孟司氏と成田悠介氏の対談動画を観て②

朝散歩をしながら、養老先生、成田先生の動画や最近起きている事を思っていた。

インターネットでのコミュニケーション文化は大きな転換期にさしかかった感。

情報が多い。それもそのはず。
多くの多様性が開かれたコミュニケーションの場に現れたからだ。

この世界中が集めた膨大なデータの中、自分が必要としている情報はどれくらいの量だろうか?

多くは結局必要な分だけ選びとり、
必要な情報と、必要なつながりと、必要なアクションをする。


そんなインターネットは開かれたネットワークだと思っていたが、そうではなく個人や集団の関係と価値観を見える化して認識する為の篩(ふるい)だったとして、今後は逆行し(機能的に関係して)閉ざす事を選ぶ時代がやってくるのでは?と成田先生の動画を見てそうだなぁと予感する。

そこに関連してコミュニケーションのあり方を考えると、一方的な心理的安全性よりも、相互的な心理的柔軟性が必要なのだと痛感している。流動せず、しがらみにとらわれ、しがみつき硬直化しているから不安になっているかもしれないからだ。

それらを踏まえた上で、

(SNS等のインターネットにおいて)誹謗中傷やアンチからの「機能的な分断」を社会で周知認識する広がりと、

開かれた交流は自分の考えが合う•合わず関係なく対話の出来る人達同士である事を認識しあった上で判断•実行する事、

環境の影響を受けない、お互いが助け合おうとする「限られた人達」とのつながりが当たり前だが必要になってくると思う。

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