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晴耕雨読

かつて思い描いていた、穏やかな暮らし。

こう入力するのにはほんの数秒で、その間にかつての自分が何を考えていたかは思い出せない。

三十路間近になってなお、未だに世間と馴染めない感覚を持ったまま漫然と日々を過ごしている。

友人を始め、同年代の女性が抱くような恋愛観も結婚観も持てず会話は上滑りする。最近知った性的指向を示す言葉を頭の片隅に、世の中には自分の知らない様々な情緒もあるのだと学ぶ。そして、きっと私の抱いた感情を周りに吐露しても、一笑に付されるか理解できないと眉をひそめられて終わりだろうと喉まで出かった言葉を手元の飲み物で流し込むのが常だ。

知人や友人の結婚や出産が立て続き、ふと暇つぶしに自身を省みることになる。

もとより恋愛感情がよく分からない。過ごしやすい異性と一緒に過ごす時間が増えた分に応じただけの親近感はわくが、それが家族や友人に抱くような感情と異なるかと言われるとそんなことはない気がする。

異性に触れられることに、言葉を選ばずに言えばとても耐えられない。あるいは特別な感情を向けられたときに、強い嫌悪を感じる。付き合っている相手であっても、遠慮なく触られるのは個を侵害されているような不快な気分になる。最初は我慢していても、遅かれ早かれ距離を置くようになる。

子供は可愛い。けれど自分の子供がほしいかと聞かれたら、全くそう思わない。そこに至る過程も避けたいし、一人の人間を育て上げるという責任を恐らく全うできない。何よりも自分と血がつながるのかと思うと、怖気がする。

こうした考え方と自身の性格とそれから体調や体質が組み合わさった上で、一体今の自分にとって穏やかな暮らしは何なのだろうかと考える。かつての自分は、もう少し目指す何かがあったような気もする。

思いつかぬまま眠れず、よく分からぬままにまた日が変わり、ただただ今日も生き続けるのだ。





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