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AIへの期待

プログラミング全般のマンツーマンレッスンのコーチをしているのですが、最近の流行言語は依然Pythonでしょうか。Pythonと言うと、AIとなるのですが、最近は炊飯器や洗濯機でさえAIとうたっている家電製品もあり、なんだかわからないのですが、すごい、ご飯うまそう! って感じがします。

一方でプログラムを教える側に立つと、本当にAI? 単にif文で条件分岐しているだけじゃないのって疑いたくなってしまうものもあり、うーん、これは統計や数学なんだけどなぁと、意外と冷めてしまう一面があります。

確かにPythonのscikit-learnやtensorflowなどを使っているプログラムだと機械学習だったりニューラルネットだったりするのですが、それでも何か物足りない感じが否めないんです。AIに取り組む前の「漠然とした期待」とのギャップが講師側の立場としても大きいんですね。心の底では AIって 鉄腕アトム(古い?)や電脳コイルの『でんすけ』(知ってる人少ない?) みたいなものができるのを期待しているのではないかと感じます。しかし、現実は無味乾燥の世界なんです。

たとえば、レッスンではopenCVで画像認識と合わせてプログラムします。いろいろなパターンの書きなぐった文字に正解を与え、教師ありデータで特徴を学習させます。学習したデータを使って、リアルタイムに書いた文字を認識するプログラムについてレッスンをします。画像認識もそうですが、カメラで100枚程度の写真を撮って、サポートベクターマシンで学習させます。グレースケールに変換して、更に解像度を落として計算スピードを稼いでラベル付きで学習データを作成します。確かに、人の顔を見分けたりできます。

できることが増えるのは楽しいし、プログラムが動いたときはうれしいものです。AIの一面を制覇したような感覚も得られ、これはこれで価値があるのだと思います。次のステップへの大いなる自信となります。

しかしながら、冷めて考えると「まぁ このくらいの認識率かぁ」って感じにもなります。では、私たちがやりたかったのは、認識率の向上だったのでしょうか? いえいえ、それはもっと専門家にお任せしたいものです。また、フルカラーや解像度を上げれば、人の目では気がつかない特徴をディープラーニングやニューラルネットが気付いて見分けてくれるかもしれません。しかしこれでは、演算のための高速で高価なGPUやCPU能力を追及することにもなりかねません。そもそも、それをやりたいわけではないんです。

物事の因果関係がわからなくても、統計は近似式や答えを計算することができます。しかし、式はあくまでも相関係数や寄与率が高いものが良いというものではないと思います。増加傾向にあるxとyを持ってくれば、風が吹けば桶屋が儲かるのです。だからこそ、その業界の原理原則や因果関係を説明できるノウハウや技術力が必要となるわけです。KKD(経験と勘と度胸)はダメだと言われることが多いですが、KKDがヒットするものが最も効率が良いのだとも言えます。だから、なんだか理屈はわからないけど予測できるってものも 期待外れなのじゃないかとも思います。

まだ漠然としたAIへの期待感ですが、レッスンとして「学んで面白い・もっと学んでみたい」というコンテンツを追及して、取り組んでいきたいと思います。無味乾燥な世界ではなく、心に潤いを与えてくれる「でんすけ」みたいなものを『みんなが』作れる日を夢見て。。。

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