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往復書簡⑤学生からの応答/前半

今回は、鈴木啓之先生、早尾貴紀先生、鵜飼哲先生から5月にいただいた言葉に対する学生からの応答の前半を掲載します。ここでは、ガザ・モノローグを行う東大生有志の会の6名が一つずつ応答を担当しています。文体や形式はあえて揃えず、学生有志各々が個人として、先生方にお返事をする手紙のようなものとして、読んでいただけますと幸いです。

鵜飼先生のおっしゃるように、「学生運動の使命の一つが言葉の発明」であるとすれば、朗読や往復書簡という、「言葉」の力に向き合い続けるこれらの取り組みは何を生み出しうるか。本往復書簡が、この問いに向き合うための一助となることを願っています。


1. 大学にいる私たちは、パレスチナとどのようにつながっているのでしょうか

問いかけへの回答をいただいたお三方からは、問いかけの捉え方も回答の視点も異なる三者三様のお答えをいただきました。つながりは各々がパレスチナと向き合い続ける中で自ら「見つけ出す」ものとされた鈴木先生、日本とパレスチナ/イスラエルの歴史的・政治的な関係が私たちに不可避的にもたらすつながりに注目された早尾先生、そして、「大学」という場所がその固有性のゆえに時代と地域を超えてパレスチナとの間に育んできたつながりに想いを馳せられた鵜飼先生。単純な問いかけであるにもかかわらず、なのか、単純な問いかけだからこそ、なのか、いずれにせよ、問いかけへの向き合い方の多彩さそれ自体にある種の示唆が含まれていそうです。鈴木先生曰く、「誰しもが同じ結び目を持つわけではないことを理解すること」が不可欠だ、と。そもそも、この問いにおいてパレスチナとのつながりを見出そうとする「私たち」とは誰のことでしょうか。そのようにある人間集団を一括りにして繊細な差異を捨象してしまうことにすでに暴力性は含まれていないでしょうか。これは、書簡の問いかけの考案の中ですでに運営が直面していた問いでもありました。そして、「大学にいる私たち」という表現で、運営は「私たち」の範囲をひとまず規定したのでした。そのようにして問いかけは組み立てられました。しかし、それにもかかわらず、お三方は問いかけに用いた語彙が許容する意味の広がりのなかを縦横無尽に駆け回り、言葉をふたたび揺るがしてくださいました。「私たち」とは、「大学」とは、「つながり」とは、と。

さて、そのような揺らぎ、複雑性、個別の差異に直面しつつ、なお運営は多くの人に対してパレスチナとのつながりを共に作っていきたい——そのつながり方は人によって異なるものではありますが——と願っています。願っているからこそ、ガザ・モノローグというプロジェクトが立ち上げられたのです(と、この文章の担当者は捉えています)。じっさい、今回行ったガザ・モノローグの朗読企画は「つながり」の問いに対して真正面から取り組むような仕立てでした。すなわち、パレスチナの子どもや若者たちが書いたガザ・モノローグのテキストは、運営ではなく、集まった参加者の方々に朗読していただきました。参加者の方々が自らパレスチナの人々からあずかった言葉を口にする中でパレスチナと自分のあいだに存在するつながりに(あるいは断絶に)想いを巡らせつつ、その言葉をまた別の誰かに届ける。そこから、パレスチナと自分、あるいは自分と他の誰かとのあいだに重層的なつながりが生じます。さらに、「つながり」は参加者自身による朗読という個人的な体験を通して獲得するものであるという点で個別的なものでもあります。このようなバランスで成り立ったのがガザ・モノローグの朗読企画だったように思います。そしてこの仕立て自体が、身近な多くの人とパレスチナとの「つながり」をともに持ってゆきたいと願う運営の試行錯誤の中で生まれた、「つながり」に関する問いへの運営なりのひとまずの回答であると思います。

2. 「連帯する」とはどのようなことでしょうか。

 この発問の背景には、私自身が抱いていた「連帯」という言葉への馴染めなさ、語の意に反してむしろ疎外を覚えるような感覚がありました。しかし同時に、それはこれまでパレスチナを含む多くの解放運動を支えてきた言葉であり、今この時起きているパレスチナの惨状に向かうにあたって、現在の日本の大学の中からいかに参照しうるのか、読み替えうるのか、機能させうる言葉なのかと、個人的に気にかかっていました。
 
そんな折、先生方には語における三者それぞれの意味やニュアンスを示していただきました。アラビア語における動詞の用法に照らしその相互性を強調された鈴木先生、責任をもつ者の立場性を前提した上で言葉の一人歩きに懸念を表された早尾先生、集団的な活動のために不可欠な言葉であると同時に、個々人が内実を問い続けるべき言葉の一つとして挙げられた鵜飼先生。
同語は、多くの人にとって日常的に扱われる言葉ではない以上、発話者自身の活動や心の動きを欠いては機能しない言葉かと思います。そしてその意味で、この意味づけは結局のところ「活動する私とは何者なのか?」という問と地続きのものだと言いうるように考えます。
そのうえで、活動開始前の書簡を差し上げた当時から毎週のガザ・モノローグ朗読会を経て、発問者自身がこの語をどのように捉え三方のお答えを拝読するに至ったかを記し、お返事とさせていただきます。
 
しかし考えてみると、「連帯」という言葉が原理的に一人では成立しえない集団的な言葉である以上、誰かと問題意識を共有してともに「政治」を行う実感を持ってはいなかった、一通目をお送りした当時の自分が馴染めない言葉であって当然であったと感じます。
 
このお手紙を記すにあたって本企画のメンバー同士でこの語の印象について話をしました。そこで主に挙げられたのは、やはりその内輪的な空気感への懸念、敢えてそう活動を言い表すことへの疑問やよそよそしさでした。同時に、構成員の主要言語である日本語での意味にこだわってみた場合、「連なりを帯びる」というこの語の特異性とは、「団結」や「一丸」と異なり、「連なる帯」であることではとの指摘が上がりました。つまり、同じラインに立つ必要もなければ、固まっているわけではない、しかし運動性を伴いながら何かを分かち持ちうる柔軟な言葉だと言えるのではないか、と。この点は「連帯」が第一に英語のsolidarityの訳語であることを考えれば興味深い語感であると思います。原義はむしろsolidのほう、緊密さや非分割という「団結」や「一丸」にある言葉が、翻訳を経て軽やかになったということでした。
 
ここで想起されるのは、鈴木先生の紹介された詩「君らの手を握りしめよう」(ナザレの市長を務めたタウフィーク·ザイヤードによる)です。 

君らに僕は呼びかけよう
君らの手を握りしめよう
君らの靴底の下にある大地に口づけし
僕は言う、僕は君らに身を捧げよう 

鈴木(2020)より

「君ら」から「私」へと、詩句の連なりのなかで徐々に韻が変化してゆくというこの詩は、パレスチナ連帯の文脈でしばしば朗唱されるということでした。
 
個々別の人間同士による現状変革を志向した連なりというその意味で、「連帯」の基盤とはどこまでも具体的な隣人の連鎖であるのだと感じさせられます。そうした「連帯」に与えることができる実感とは、市民である以前の地味な生活者としての私自身が隣の別の生活者とつながること以上に見出すことができないのではないかという点は、プロテストの場で現実の空間に人が集い交錯することを目の当たりにする中で覚えた感覚のひとつでした。そこで、言語使用によって紐帯を可視化してゆく、それを実践的に引き受けてゆくことを可能にするための言葉として、「連帯」を言うことができるように感じます。
 
そう前提してみると、パレスチナに「連帯する」ということが、とりもなおさず日本の隣の誰かとのつながりを確認しながら、その結果として「私」の枠組み自体が問い直されてゆく、凝り固まった「私」を解いてくれるという状態にしか、運動性の持続と効果があり得ないように思われてきました。「パレスチナの解放なくして私たちの解放はない」という言葉が、理念上のものではなく、生活者としての個人のそれへと感じ直された瞬間でした。
 
これはケアの論理そのものであるとも感じます。一方向の贈与的なそれには限界があり、支援者/被支援者という役割が解体され、関係が場にひらかれてはじめて、「助かり合う」共助的な回路が見出されケアが成り立つという論理です。たとえば「恵まれた私たちが」という文句がありますが、実際プロパレスチナ運動に参与している学生層を見ても、就職活動に追われたりバイトとのやりくりに難航していたり、特権的で恵まれている身分だとは到底思えず、その文句をとりわけ空疎に思うようになっていったことも今回のガザ・モノローグを大学空間の中で行ったことにより抱かれたまた別の実感でした。特定の条件から「恵み」の多寡を見積もり、それをてこに活動を一方向的に「パレスチナ」へ向ける形で想定すること、何かしらの垂直性から人を動機付けてゆくことには限界があり、それよりも、理不尽な暴力に生まれながらにかかずらわされている卑弱で具体的な生のレベルにおいて、その意味では平等な資格を持ちうる、生活ベースの「助かり合い」に向けて場をつくってゆくこと、そのための言葉として「連帯」を考えられないか。現状では、そのように感じています。
 
しかしここで警句のように思い返されるのが、責任をもつ者の立場性という早尾先生の言及です。生活者というレベルでは水平であっても、戦禍にある抜き差しならない現状を送っている人々と、目を背けようと思えばそうできる人々の間には当然の差がありますし、日本に住む多くの人々は、有権者として素朴に日本政府の立場に責任を負っています。そこで人々には正しく怒る権利があり、責任の論理はつねに所与のものとしてあり続けます。またそもそも、ここで枠組みとなる国家というスケールを「連帯」から取り去り生活者としての実感にのみ意味を求めることは、事態が植民地主義、国民主義、グローバル資本主義の問題である以上不可能であり、実効性を欠いてしまうものでもあると考えます。
 
その上でなお今回の、小さく、友達に声をかけてゆく仕方で始まった取り組みのことを考え直していました。
 
友人に声をかけられるようなアクティビズム、サークル内に可能な限り暴力性を温存しないということを念頭に、直接の知人ないし知人の知人であった六人が集まりました。ここで確認されたのは「パレスチナ」が様々な形の暴力の交錯点であること、固有の土地の名でありながら、構造的な暴力に抗する普遍性の足場であるのだということでした。
一部メンバー間のはじめての連絡手段はInstagramのメッセージ機能で、これは私たちがガザの人々とやりとりするのと同じツールです。SNSをひらけばこれほどリアルタイムに惨状が目に入ること、ガザの人々から直接差し迫った飢えを訴えられること、クラスメイトとガザの人々と同じ通信手段でやりとりしているようなこの時代状況は「連帯」ということの物理的距離を変えたように思います。もうすでに隣り合っている、かかずりあっている者同士として、連なりの「恵み」を共同的に得なおしてゆくこと、「私たち」を画分している単位に異議申し立ててゆくこと、「パレスチナ」の話が今ここの「私たち」の話になるということが、理想論ではないということを示してゆくことに、「連帯」の内実を認めたいと思います。この点に、パレスチナの闘いの帰趨が私たち自身の未来にほかならないという鵜飼先生のご確言を、重ね見る次第です。
 
以上が、現時点で私が積極的に「連帯」という言葉の使用から見出せる効用であり、意味です。これは結局「パレスチナとは自分(自分たち)にとっての/パレスチナにとっての自分(自分たち)とはなんであるのか?」という問いの別様であり、その意味で水平的な場を設定すると同時に、内実を与えられてはじめて生きる言葉なのだと思います。
往復書簡の試みをお引き受けいただき、ありがとうございました。

3. パレスチナ/イスラエルの何が問題なのでしょうか。

「何が問題なのか」という問いかけは、ある意味挑発的であり、神経を逆撫でするものでもあります。「何が問題なのか」と問う者は、しばしば暗黙の了解を共有していない「よそ者」として扱われるからです。そんな問いに真摯にお答えいただいたことに、まずは心よりお礼申し上げます。私(たち)は運動に携わるなかで、ある種の疑問が抑圧される場面を何度か目撃してきました。民族浄化が現在進行形で行われている今、問いを立て直すことはどれほど許されているのでしょうか。
 早尾先生は鋭く「対立の和解」「和平合意」という問題の偽装を告発してくださいました。そうした問題の偽装が本当に重要な問題を覆い隠してきたことを、私たちは反省しなければなりません。三人の先生方の応答から見えてきたことがあります。二つの方向が必要です。第一に、問題の偽装を告発すること。強者の振りかざす道徳の欺瞞を打ち破る際に手掛かりとなるのも、そうした問題自体の検討ではないでしょうか。後ほど引用する鵜飼先生の『現代思想』への寄稿が、イスラエルの経済的背景の分析であったことは示唆的だったように思います。第二に、問題の創造の可能性を開き続けること。鈴木先生の応答は、この第二の可能性へと私たちを導くものでした。
 友人の言葉が印象に残っています。「私たちがガザを語るのではなく、ガザが私たちを語っている」。パレスチナ/イスラエルの「何が問題なのか」とは、翻って私たちの「何が問題なのか」ということです。
「何が問題なのか」という問いは開かれ続けています。それでもなお、これを問いはじめた私(たち)は問う前の私(たち)であり続けることができなくなります。それぞれのしかたで、この問いをめぐって。

クリシェと化している問い、言葉

  • 「10月7日のハマスの攻撃をどう考えるか?」

  • 「憎しみの連鎖を誰かが断ち切るしかない」「断ち切る」とは具体的に何をすることなのか? 「誰か」とは誰のことなのか? 特定の当事者に泣き寝入りを強いていないか?

隠蔽されている問い

  • ユダヤ人を排斥し、現在のイスラエル建設に追いやった国々の責任は果たされたのか? イスラエルによる虐殺を批判しながら、自国の罪を見て見ぬふりをしていないか?

  • パレスチナを「未開の地」とすることで経済的に利益を得るのは誰か? グローバル資本主義とハイテク軍事産業、植民地主義の結託。

「爆撃と虐殺が続く10月29日、イスラエル政府は地中海沖のガス田開発のライセンスを英国のBP、イタリアのENIを含む六つの企業に交付した。イスラエルの戦略目標はハマースの壊滅、ガザ住民の民族浄化ばかりでなく、パレスチナの資源略奪も含まれているのではないかという見方がいまや有力になりつつある。(…)私たちが今立ち会っているのはむしろ、19世紀型の植民地主義侵略そのままの、採掘主義と絶滅主義の結託の極致と言っても過言ではなさそうだ。」

鵜飼哲「「新しい中東」以後:「裁き」から「革命的平和」へ」『現代思想 特集 パレスチナから問う』青土社、2024年、139頁

「境界を拡張すること、それがアメリカ資本主義であり、アメリカの夢想である。それがイスラエルによって繰り返された。そしてそれはアラブ領土への、アラブ人を犠牲にした大イスラエルの夢想として引きつがれている。」

ジル・ドゥルーズ「ヤーセル・アラファトの偉大さ」『ドゥルーズ・コレクションⅡ 権力/芸術』河出文庫、2015年、184頁
  • イスラエル建国の正当性とは? また、正当性の欠如を暴露するという抵抗のあり方はどこまで有効か?(ただし、抵抗の主体はあくまでもパレスチナの人々であり、パレスチナの人々が具体的に何をどこまで求めているか見極め、尊重することを忘れずに)

  • 「パレスチナはイスラエルという国を否定しようとしている」と言う人々こそ、イスラエルという国の正当性の危うさに気がついているのではないか?

  • 一方で、国の「正当性」などどうすれば語れるのか? とはいえ、イスラエル建設の原因を作った国々こそ、自分たちの責任も含め、イスラエル建設の正当性の欠如を認めるべきではないか?

「パレスチナ人の間でよく言われるのは、バルフォア宣言とは要するに(パレスチナの)土地を所有しているわけでもない英国が、それを手に入れる資格もない者たち(シオニスト)に渡したものだ、ということだ。英国にこのような宣言を発する法的根拠はなく、パレスチナ人は自らの故郷ならびに権利に対する攻撃であるこの宣言に今なお抗議し続けている。」

イヤース・サリーム「帝国主義とパレスチナ・ディアスポラ」鈴木啓之・児玉恵美編著『パレスチナ/イスラエルの<いま>を知るための24章』明石書店、2024年、278頁

マイナーな問い

  • 故郷とはなにか? ナショナリズムに回収されない故郷のありかたとは? 故郷が何らかの離別から事後的に発見されるものであるとしたら、かつて住んだことのある故郷と、語り継がれてきた故郷との本性上の差異はそれほど大きくないのかもしれない。

  • 他の人の故郷を尊重するとはどういうことか? 私自身はその土地に思い入れがないかもしれないのに、その土地を「懐かしい」と感じることがあるとしたら、それはどういうことか? 「懐かしい」と感じてもいいのか? パレスチナのオリーブ畑を見て、私たちは何を思うのか?


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