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昭和政党政治の腐敗-松岡洋右の政党解消運動

 最近日本のニュースでは、連日に亘って日本政治家と派閥政治の腐敗が報道されていますね。金、愛人、パー券、裏金、脱税、パパ活、違法行為、まだまだ。😅😅

 以前YOU TUBEで『虎ノ門ニュース』というニュースチャンネルに出演されて居た武田邦彦先生が、2年前位から『参政党(さんせいとう)』という政党に入られたというので注目してましたが、やはり日本の政治・政党には大きな問題があるようです。。。😭

 そこでふと、仏印平和進駐時の、第2次近衛文麿内閣外務大臣だった松岡洋右氏による昭和の『政党解消運動』を思い出しました。
 衆議院議員を4年務めた松岡洋右氏が、政党政治に絶望し自ら『政党解消運動』なるものを起こしたことは、あまり知られてません。

 松岡氏の講演会速記録『政党を脱退して 日本國民に訴ふ』(昭和8(1933)年発行、大阪毎日新聞社編)から、松岡氏が何故に昭和の『政党政治』に絶望し、一般大衆に向かって何を訴えたのかを探りたいと思います。現代の令和政党政治の腐敗とも、何か繋がるやも知れません。。。😅😅😅
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 「…私は御承知の様にジュネーヴから帰りましてこの半年ばかり、多く口を開かず筆も執らず、大腿沈黙を守っておったのであります。…
 …四年前に私は政界の濁流に身を投じたのであります。…そうして親しく自ら政党人としての体験を積んで見よう、内の事情も出来るだけ研究してみよう、そうして若し改善の余地があるならば甚だ微力ではあるけれども一滴の清水となって、…
 …しかし四年の私の政党生活は遂に私をして絶望せしめました。」

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 松岡氏は、昭和5(1930)年2月に衆議院に当選。翌年は満州事変が勃発して、国連からリットン調査団が満州に派遣されました。日本主席全権に任命された松岡氏は、国際連盟総会に出席するべく1932年10月に日本を出発しました。
 翌1933年にスイス・ジュネーブの国連総会で国連脱退を宣言。日本に帰国後、衆議院議員を辞めて『政党解消運動』という国民運動を起こして全国行脚を開始しました。

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 「…現在日本の有様を見ますというと、何うしても政党と云うものが妨げになる。私は政党人を特に悪いものとは決して申しませぬ。けれどもこの政党が存在している限り、一方がよいと言えば他の一方が悪いと言い、全国到るところに尾を曳いて相争う。これはあなた方が、一番よく御存知である。王道では断じてない。況んや我が国の型ではない。欧米文明今日の行き詰まりは、一切が覇道に基いているからである。彼等の政治を御覧なさい、どうであるか、ただ多勢の人間が集まっていがみ合う、殊に団体の間でいがみ合い、喧嘩をやっては政治を行うという王道ではない全くの覇道であります。
 又、経済機構が先程も申したように資本主義、資本そのものはそれ自身よいとか悪いとか言うことはないが、覇道を以て資本を動かして行くというところに今日の資本主義の悩みがある。…
 …然らばどうするか、即ち日本人本来の姿に立ち還り西洋かぶれをした頭を空しうすること、これを言葉で言い現わせば即ちわれわれが祖先伝来持っているところの神ながらの道に基いて日本を建直すより外に仕方がない。

  …しかしこの外国の覇道の真似ようとして日本の国情と国民性に合しないものを輸入した政党政治、この政党政治とは何んぞやとお考えになれば直ぐに判る、…
 …政党政治は外国の覇道を真似て自分の利益からすべてを割り出す、そうして利益を同じうして居る者がクラブを造って他の自分達と利益の相反して居るクラブとの間で喧嘩をやる、」

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 欧米から輸入した『政党政治』そのものが、日本の国柄にそもそも合ってないんだと松岡氏は訴えてます。団体で集まって喧嘩をする、いがみ合う。これは『覇道』だ、資本主義自体が問題ではない、資本を『覇道主義』で動かして専横や不公平、差別をまかり通らせてしまうことが問題なんだと。
 
 『クラブ(倶楽部)』=『政党内派閥』
 そういえば私の記憶でも、高学歴者の上司に限って社内での『派閥創り』に熱心でしたね。。。
 学生時代に受験勉強すればするほど、この『覇道傾向』が強くなる?
 そう考えたら、受験教育自体が無意識的に覇道土台上で構築されている根本的危険性も。。😨😨😨

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 「…われわれは共同観念をもっており、一家のように考えてやって来た。異なる分子が喧嘩をやりながら国を造って来たんじゃない。始めから一家相和し、戮力共同して行こうと云う観念、この伝統をとって私共は今日迄来った。祖先からこの国を引き継いで来た。此処に立ち還って考えて見ますと、どうしてもこの覇道を捨てなければならぬ、
 …その和する上に於いて第一番に問題となるものは政党である。どう考えて見ましても政党である、これを解消しない限りはわが大和民族の世界的運命を決すべきこの国難、今や峠に差し掛かっているこの国難を突破することは到底出来ぬ。」

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 日本人古来の特性として、『権威』に柔順で『権利』に疎いという所があり。政治と云えば未だに仁徳天皇の『民の竈』が出される訳で、やはりこう言った話が好きな民族だから、少数精鋭のエリートが烏合の衆を率いて行くような政治スタイルに対し、自然と拒否反応が起こるのは当然です。

 『和』する上に於いて一番問題は、政党の存在。。。
 日本にとって邪魔な存在は、『覇道に染まった政党と政党人だ!!』と松岡氏は言って居ります。。。

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 「…政党は借り着です。
 たったこの間欧米から借着をしたのが政党である、初めから我々の身体にぴったりしてはおらぬ、…元来我が国情及び国民性に合わない。この一家の観念で国を建てて来たわれわれに、お互い喧嘩をやりながら政治をする覇道の政党政治を持って来たのでは初めから国情に合わぬ、国民性に合わぬ借り着である。しかもこの借着は泥だらけのよれよれになっている、それをそうでは無いとおっしゃる方があなた方の中に一人でもお出でになるか。今日日本の政党は実に立派なもので道徳堅固、党利党略などは眼中になく、全然国家あるのみであるとおっしゃる方がありましょうか?そうしてこれが発展をして来れば来る程悪いことをし出す、発展をして来れば国家本位と段々と遠ざかって行き、遂には人々が大臣病に罹ってしまう。」

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 私は前々から不思議に思ってることがあります。
 明治・大正人は、欧米からの借着を着て、どうにか議会制民主主義をやってみた。しかし、いつまでも借着を御直しせず、新調もせず、ましてや洗濯もせぬまま着続けてボロボロのヨレヨレに汚して派閥利権争いばかりしてたのが昭和5(1930)年頃までの日本の政党政治なら、当時の満州事変も支那事変も、そこからの大東亜戦争も、このボロボロの借着にしがみついた一部エリートたちの『政治の結果』な訳です。
 だから、GHQが日本に来た時に一番に潰すべきは『政党政治』だった筈。それなのに何故か『政党政治』のみが無傷で生き残って戦後の利権を独り占め。せめて日本の政党政治が、『過ちは繰り返しませぬから』と国民に謝ってれば、今日令和の政治家腐敗はまだもう少しマシだったかと思いませんか。。。😅

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 「…この多数でもって抑えつけ多数の力をもって統治して行こうなどと云うこの覇道にカブレている政党人が議会中心主義を唱えるのは蓋し免れざるところであります。
 …従来、県会には政党色のないものが幾つもあった。そこに段々政党が手を伸ばして来た。伊藤博文公が政友会の総裁をおやめになる時、自治体に政党が手を伸ばさぬよう非常にこれを憂慮されていた。ところが、段々自治体に手を伸ばして斯くの如き有様となった。しかし手を伸ばすなということは無理な注文だと思う。日本と云う国は地方から出来上がっている。市町村が集まって出来上がって居る以上は苟も政党が存在している限り市町村に向かって即ち自治体に向かって政党が手を伸ばすと云うことは蓋し当然の帰結である。」

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 最近の『自民党パーティー券問題』でも、裏金化した資金の多くが地方議会に相当流れていると報道されています。
 一般国民が、メディアの流す自民党スキャンダルや国会中継などの東京中央政治ショーを暢気に見させられてる間に、覇道主義の政党が市町村=地方自治体に手を伸ばす、地方議員に金を配る。。。これは『覇道政党の常套手段』だと松岡氏は言ってます。。。
 昨今の日本、地方議員選挙への危機管理が手薄になってませんか。。。

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 「…私は率直に言う、政党を解消して貰いたい、…政党解消ということが今日の政党内に於いて、国家本位の立派な考えを有っておられる政治家を生かす唯一の途であると思うからである。 
 …今やわが日本は、内に於いては幾多の大改革をしなければならぬ事情に迫られており、外には重大な外交国難がひしひしと攻めつけておる。この真っただ中に於いて、政党政治50年の着物は泥だらけになりよれよれの姿になってしまった。すでにどうにもならなくなっている。これは私が注意する迄もない、こんなことでは日本は滅びる。

 …政党と云うものは対立と抗争の政治形態である。これが問題である。此の頃、政民(=立憲政友会と立憲民政党)提携などと云うことが報道されている。…これ等の人達だけで党をつくって国民を率いると云うような考え方に対しては私は絶対に反対する。我が国はそう云う党人だけの国では固よりない。
 而して私は正統というものは政党人の政党ではないと思う。…政党は民間同士の団体であるから俺等のものじゃない、何をしようと俺等の知ったことじゃないと云う感じがある、それがいかぬ、苟もこれだけの大組織を国内に造り国の政治にこれだけ関与するところの機関は否が応でも全国民のものである。…これはわれわれのもの、国民全体のものである。」

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 松岡洋右氏の様に実に頭の切れる雄弁な方が、全国行脚して『政党解消運動』を訴えたお蔭で各地に支部が発足、地方で活発な活動が開始されました。日頃から中央政治に対して不満を鬱積していた地方義人らに直接訴えたのだから、全国に”松岡信者”が続出したと言われる程、その反響は大きかったそうです。
 そして、この数年後に日本で何が起こったかと調べると、⇩⇩😅😅

 1940年全政党の解散から『大政翼賛会』成立で、『翼賛体制』へ!!

 。。。なんと信じ難いですが、実際に『挙国一致で一党独裁』を成し遂げてしまったという暗く恥ずかしい過去が、戦前日本で本当にあったのだから…、令和に生きる私たちにも同じ血が流れてます。。。気を付けましょう、本当に。(笑)

 もし、松岡洋右氏がもう少し頭が悪かったら、もう少し雄弁じゃなかったら、人徳が無かったら、魅力・行動力・説得力に欠けて居たら…、本当にワルだったなら…😅、地方で彼の『政党解消論』に耳を傾ける国民は少なかったのかも。しかし、この時の日本には”運悪く”、松岡氏が人を惹き付ける雄弁家で熱血の本当の愛国者だったこと。。。
 では、その松岡氏をすっかり信用させ、鼓舞し、行脚させ、利用して後に間者に各運動支部を搔き回わさせたのは…?? 多分、戦後利権者の誰かです。😑😑

 丁度この時期に、大川周明先生が『新亜細亜』巻頭文で、ドイツに降伏したフランスの現状に言及しています。⇩

 「フランスのペタン元帥は此の教書(昭和40年10月10日)に於いて、フランスの惨敗は、フランス政治の弱点と欠点とが、軍事行動に反映したるものであると述べ、党争の激化が遂に挙国一致内閣を生むに至ったが、それも畢竟無力無益なリし所以を、下の如く指摘して居る。
 『この抗争の害を知りて、挙国一致と称する広き範疇の政府を作ったが、これは一層甚だしきごまかしに過ぎなかった。意見の相容れぬものを寄せ集めたからとて、決して「結束」する筈はなく善意を合計しても、断じて「決意」が生まれて来ない。』
 …日本の挙国一致体制は、総じてフランスのそれと似通っておらぬか。…無方針、無理想の『挙国一致体制』が、結束もなく決意もなき、形体のみ大規模なる一機関の生まれ出づべきことを恐る。
」 

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 武田邦彦先生の動画は、どうもこれ⇧と同じことを国民に訴えている様に感じてます。長生きされて、過去に同じ道程を実際に見て来たからかも。

①政党政治は既に腐敗しボロボロ、ヨレヨレ。←今ここ
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②不景気だー、非常時だー、失業だーで社会不安煽り。
        ⇩
③これでは駄目だ、政党解消だー、で大政翼賛会誕生。
        ⇩
④挙国一致がいつの間にやら全体主義、泣く子も黙る特高警察大躍進。 ⇩
⑤タイミングよく戦争勃発。我慢だ、忍従だーで大増税。挙句に大敗戦。責任は?  
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⑥軍も大学も皇族も既得権益も既存財閥も解体、再編。
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⑦戦後は政党政治だけ何故か無傷で無罪放免。無敵で新しい既得権益、財閥誕生へ。 
 
  

 

  
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 

 

  

 

 

 


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