ベトナム・ホーチミン市で遭った 『児童誘拐』の驚くべき手口

 先日日本で、『LGBT法案』が可決されました。日本の法律なのにローマ字…。違和感を感じますけど😅、大急ぎで可決した背景には何か思惑があるのかな、深い事は分かりません。
 そんな中、偶然ネットで及川さんという方の『LGBT法案の先は ”児童性愛の合法化”』という動画を見て、ふと、私の娘がまだベトナム現地の小学低学年生だった頃に、白昼堂々、ホーチミン市内のど真ん中で誘拐されそうになった時のことを思い出しました。
 
 あれは、旧正月(=テト)前でした。
 ベトナムのお正月は今でも旧暦です。ひと昔前のベトナムは、コンビニや外国資本のホテル・レストランも殆どなかったですから、大体年末28、29日位に店が閉まってからは、年明け1週間位経ってやっと通常営業に戻るのを待ってなければなりませんでした。年末に何か買い忘れでもしたら、本当に大変でしたね。。😅
 
 年末は町中が買い物モード全開の中、彼方此方の公園や広場に『花市場(Chợ Hoa)』が立ちます。旧正月を迎えるに欠かせない梅の花、菊の花、マリーゴールドなどが所狭しと並べられ、花以外に小物や本、食べ物などもあって大変華やいだお祭りの雰囲気です。これを皆が皆、家族総出で必ず見に行く訳ですから、必然どこの公園もその期間は大変混雑します。
 その日、私も娘を連れて、義理の長姉と3人で花市場に出かけました。

 ベトナムの都会では、小中学生くらいまではどんな家庭でも必ずバイクで送迎します。誘拐の危険があるので、子供単独で学校に行かせません。
 普段からそんな調子ですから、特にお祭りや年末の花市場などでは細心の注意が必要ですが、それでも、『全国で何十人かの児童が行方不明』、といったような新聞記事が毎年必ず出ます。
 
 あの日は、本当に一瞬だったと思います。
 娘は叔母と向こう側に行ったので、私は1人で他方の商品を見てました。と、少しして、長姉が娘を抱えて来ました。具合が悪いからベンチで休ませる、と言います。娘は普段からとても健康で、暑さバテとか眩暈とかない子なので珍しいな、と思いましたが、確かにぐったりしてます。日陰のベンチに座って水を飲ませて、やっと正気が戻って来たので一安心したところで、長姉が話し出しました。
 「さっきね、変なおっさんが○○に近寄ってて頭を撫でてたのよ。家の子に何するの~!って、怒鳴ってやった。頭を撫でるなんて、汚い手で!!」

 ”家族や親戚でもあるまいし、断りも無く他人の子供に勝手に触れるなんて〜!”と、兎に角『おっさんの手は不潔なのに〜!』と、そんな事で憤慨してましたので、私も別段に何か考えることもせず、それでも、娘はその日ずっと疲れてました。

 何年か経って、成長に伴い頭がクリアになったお蔭でしょうか、娘はあの日のあの記憶を整理してこう言いました。
 「あの時はね、おじさんが傍に来て、見上げたら目があって、そしたら、おじさん、にや〜っと笑って、頭をぽんぽんって叩いたの。そしたら、その瞬間に頭がくらくら〜っとして、急に気持ち悪くなった。」

 実は当時、ホーチミン市内で起こったある誘拐未遂事件が話題になっていました。⇩
 スーパーで、母親が目を離した隙に子供が消えましたが、運よく取り押さえた誘拐犯が抱えていた子供の服装、髪の色、靴等々…が、全く違う物にすり替わっていたそうです。子供は全く抵抗せず。。。
 白昼堂々、周囲の目がある中の超短時間で、どうしてこんなマジックの様な早業が可能なのか不思議でしたが、娘と私は、今は全く不思議には思いません。

 娘と私は、あの時のおじさんは、”ぽんぽん”と頭を撫でた時に、何かの『薬物』を使用したのだと思ってます。アヘン、或いは合成麻薬の様な物か分かりませんが、一瞬で子供が気を失ってしまうのです。複数人で連携をし、素早くカツラを被せて靴を変え、コートを着せて抱きかかえてしまえば、もうこの”眠りこける子を優しく抱っこする親”を怪しいと思う人はいないはずです。
  
 今思えば、私の娘は本当に間一髪でした。長姉が気付くのが、あと一瞬でも遅かったら…。あの日花市場から、”神隠し”の如く消息を絶ったかもしれないと思い出す度に、今でも背筋がヒヤッとします。そして、その恐怖を倍増させるのは、ある程度高度な薬物知識を使う組織的なプロ集団の存在を感じること。

 こんな手口でなら、例え細心の注意を払っていても、ほんの少し目を離した隙に子供は消えてしまいます。単なる商品になって、一日で国境を超えて行ってしまうでしょう。
 だから、ベトナムの父母らにとって、低学年の我が子の送り迎えは常識なんですね。残念ですが、犯罪の防波堤(警察公安や治安)が低い、或いは小さい社会では自己防衛するしかない。
 
 しかし、昔からベトナムの治安が悪かった訳じゃないそうで、私のベトナム人の義父母は、「昔(1975年以前)のサイゴンは、市内巡回バスが走って、社会ルールが整っていて秩序があったねぇ。」とか、「家のドアの鍵を掛けたことなかったよ、いつも開けっぱなし。近所も皆いい人ばかりで、あれこれ助け合って。」と、現在の姿からはちょっと想像もできないサイゴンの昔話を、生前よくしてました。
 【戦争の後遺症】というのでしょうか、一旦社会秩序が破壊されると、元に戻すには大変な苦労と年月が掛かるのだとしみじみ思いました。

 上述で挙げた【LGBT法案】だけじゃないでしょうが、日本に今まで必要の無かった法律を外国に足並み合わせて、或いは外国の圧力で受け入れる場合、日本社会が外国様、或いは外国並みにこれから変化がある前兆でしょう。
 良い変化だけとは行かず、当然日本にとっての負の変化も入って来るはずで。

 そんな事は、私の様な田舎のおばさんでなくても誰でも判るでしょうけど、海外の犯罪集団が、”どんなレベル”で、”どんな手口”で、”どんなに用意周到で組織だっていて、日本のこれまでの常識で計れないか”は、実際に経験しないと絶対に判らないと思います。

「きっと、親が不注意だったんだろう。」
「親が子供から目を離したんだろう、けしからん。」

 こんな↑感じで、今の日本はまだ、目を離した親の自己責任を非難する人も多いかもですけど、外国の幼児誘拐のプロの仕事はそんなに甘くないゾ…と、実際経験した者として思うところあり。。。
 そして、もう一つ思うことは、やはりクオン・デ候やファン・ボイ・チャウらベトナム志士たちの抗仏闘争、そして大東亜戦争と、日本と共に命を賭け、取り戻したかった祖国ベトナムの姿は、きっと今の姿じゃないだろうな〜、ということ。


 

 
 
  

 


 


 

  

 


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