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仏領インドシナと戦前の日本人

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戦前の仏領インドシナ、ベトナムの独立を直接、間接に援助した日本人を纏めてます。
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#ベトナム

べト・ミンの実態を追う①😑『下剋上』

 先日の記事『ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰? 続・続編 ~べト・ミンを追え!😅の巻~…

何祐子
1か月前
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日本の平和外交『タイ・仏印(ベトナム)紛争調停(1940-41年)』その②

 日本の平和外交『タイ・仏印(ベトナム)紛争調停(1940-41年)』その①   1940…

何祐子
2か月前
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日本の平和外交『タイ・仏印(ベトナム)紛争調停(1940-41年)』その①

 第2次近衛文麿(このえ ふみまろ)内閣の時の平和外交『タイ・仏印紛争調停』。日本人にと…

何祐子
2か月前
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グエン朝第8代皇帝・ハムギ帝と画家藤田嗣治(ふじた つぐはる)

 戦後の日本では全然忘れ去られてますけど、、、  ベトナムは、1945年までは帝政国家で…

何祐子
2か月前
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ベトナム留学生と静岡の医師浅羽左喜太郎(あさば さきたろう)先生

 ベトナム、或いはベトナム近代史を知る方は、この浅羽左喜太郎先生と『東遊(ドン・ズー)運…

何祐子
2か月前
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ベトナム志士らが愛した三島由紀夫(みしま ゆきお)文学

  遅ればせながら明けましておめでとうございます。  2024年初めて投稿します。  本当…

何祐子
5か月前
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ベトナムと南宋(なんそう)の話

 先日の12月21日(木)にYOU TUBEで『ニュースあさ8時!』、通称”あさ8”というニュースチャンネルを見てましたら、思いがけず百田直樹氏が、古の中国にあった『南宋(なんそう)』の話題に触れてくれました。⇩  「…あの時、南宋には徹底して金(=女真族)と戦うんだと言った人物がいたが、いや金と戦ったら駄目だ!と言った人間がいて、、、今でも、まだまだこの人間の像に中国人は唾を吐くと言う。その像は杭州、風光明媚な西湖にある。」    こんな⇧感じの話題をゲストの石平氏や有本香

クオン・デ候を”南一雄(みなみ かずお)君”と呼んでいた 大川周明(おおかわ し…

 『大川周明(おおかわ しゅうめい)』でネット検索すると、大体こんな人物情報が出て来ます…

何祐子
7か月前
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『馬賊の唄』 ←本当の作者は誰??

 先の記事「西田税(にしだ みつぎ)とベトナム抗仏志士」で、1936年2月26日の『2.…

何祐子
7か月前
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ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?・続編 ~ホーおじさんのコミンテルン人脈を探る…

 先日、こちらの記事⇒ホー・チ・ミン氏とは、結局一体誰?①で、『ベトナム革命の父』と呼ば…

何祐子
7か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様・おまけ

日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様②  その①で、日本敗…

何祐子
8か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様②

 「日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様①」からの続きです…

何祐子
8か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様①

 日本一般国民に、近くて遠い国・ベトナム…。😅   戦後は日本政府もベトナム政府も、何か…

何祐子
8か月前
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戦前の『非常時内閣平和外相』  廣田弘毅(ひろた ひろたか)氏

 昨年からここnoteで、明治末に日本へ亡命したベトナム王国(当時)のクオン・デ候やファン・ボイ・チャウに代表されるドン・ズー(東遊)留学生などのベトナム抗仏関連史を投稿しています。  大体、明治末期から日本軍の仏印平和進駐(1940年)前後に関連する古本を主に調べてますけど、古本に眠ってた内容には、令和現代と非常に相似する興味深い事柄が多いと感じています。なので、たまにベトナム史から少し離れてあれこれ書いてます。  今日は、極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯、有罪判