仏領インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)で起こった軍事クーデター、通称「明(マ)号作戦」のこと その(2)
その(1)(こちら→日本軍の仏印武力処理(=軍事クーデター) 通称「明(マ)号作戦」のこと その(1)|何祐子|note)からの続きです。
東京の参謀次長から南方軍総参謀長宛に、「仏印処理の研究準備」の電文が打たれたのはいつ頃かと言いますと、1942年11月にアメリカ軍が仏領アフリカ上陸した時です。フランス正規政権のビシー政府がアメリカに対して「対米国交断絶宣言」を発したのです。「火事場泥棒は止めろー!」という感じですかね。。。😅 この国際状況の中、1943年5月御前会議