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『いつかたこぶねになる日』を読んで ②
乙酉一月二十三日郷を発つ 原采蘋 (はら さいひん) ◯起拝高堂 夜明けに起き 父母に礼をして 新年出故郷 新年 郷里を出発する
これはそのまま分かりやすいけれど◯の漢字が出てこない。夜明けの意味の漢字一文字。
高堂=父母 覚えた。
漢詩と詩を見比べながら、さながら推理の当て嵌(はめ)っこ。たまに当たる。
『海からの贈物』アン・モロウ・リンドバーグを読まないと分からない「ほら貝」「つめた貝」「日の出貝」「牡蠣」「たこぶね」
時の年輪がつくりあげた美しい殻を惜しげもなく脱ぎ捨て、人生の後半をたこぶねのように、さらなる未知の世界へ泳ぎだしたいという願い。一介のタコとして生き直したいという願い。そんなたこぶね。これからの旅は身一つなのだ、との覚悟を感じさせる原采蘋の詩。もう一度、詩と漢詩を味わい比べる。漢詩、カッコいい。
二つ目は『それが海というだけで』
深く考えなければさっさと読めるのに、
内容を理解し味わうのは大変だ。
(海のもたらす憂鬱の核心)
(寄せ返す波が同質の時間を引きのばしていくことの恐怖)(嘔吐を誘うような憂鬱)
憂鬱は分からないけれど、その恐怖はいつか以前うっすら感じた記憶。
ここでの漢詩は『深夜特急』の沢木耕太郎がバックパックに詰め込んだという李賀(りが)の詩集。
飛光飛光
飛び去る光よ 飛び去る光よ
勧爾一杯酒
おまえに一杯の酒を捧げよう
爾(おまえ)は、(なんじ)で漢字変換。
最後まで読むと、確かに鮮烈。
小津夜景は海を見て、26才で夭逝した李賀の激情を、そしてすぎゆく時間とのすさまじい対峙を想うのか。
それならば私は、静かな海が一枚の青い布のようにみえるかどうか、試してみよう。それから海とたわむれる光と影を探してみよう。
《参考》note「漢詩和訳の世界」(秋)
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