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【無遠慮な実名報再び】相手の立場に立てるかどうか問題についての独白

立川の殺人事件の話。

容疑者の男性は19歳でギリギリ少年法に守られ実名非公開。

一方被害者で亡くなった女性はメディアによって実名報道。
職業柄表に出されたくなかったであろうはずなのに…と、ネットでは実名報道について非難の声が上がっています。

実名報道の是非については、かつての京アニの一件であれだけ物議をかもしたのに、また同じことの繰り返しに…

京アニの一件では、

『実名を報道しないと事件の全容が分からない』
『でも遺族には配慮する』

というのがメディア側の理由でした。

でも単純に、NGを出してる遺族の立場に立ったら「実名報道しない」という選択肢しかありません。

にもかかわらず、敢えてやっちゃうっていうメディア側の動き、個人的には不思議でなりません。

最近こんな風に「相手の立場に立てない人」って多くないですか?

今回はその辺りの話を、自分視点でしていきます。

相手の立場に立てているか

自分は社会に出てからほぼサービス業、接客業についてきたんですが、「お客様は神様です」という言葉はもう過去のものだと思ってます。

そもそもこの言葉の真意は今使われているような意味ではなかったようですが。

その話は置いておいて、サービス業の世界でひたすら働いてきた身からすると、飲食店を利用する時店員さんに対して「おい」と呼び止めることはできません。

店員さんの立場に立って、「おい」と呼び止められたら絶対嫌だからです。

実際そういう場面は何度かあったように記憶しています。

自分は顔に出やすいので、その度にイラっとした表情を見せてたと思います苦笑

そういう経験があるので、お店を利用するときはむしろ「ありがとうございます」「ごちそうさまでした」くらい言って当然だと考えています。

別に世間話をするワケではないですが、一言あるのとないのとでは違うことを分かっているからです。

アナタの正義はアナタだけのもの

『自分の若い頃はガムシャラに頑張ったもんだ』みたいに、自分視点でしか話ができない人もいたりします。

でも今と昔は時代が違うし、そもそも自分と相手は生まれも育ちも何もかもが違います。

全てが違うからこそ、相手の立場に立ったり想像してみたりすることは必要です。

でもそれを全て無視して、何故か自分が全てであるかのような目線でしか物事を見れない人が一定数います。

今回の実名報道って、まさにそういう「自分が全て」と思い込んでしまったが故に起こってしまったことなんじゃないかと思うんですよね。

冒頭でも書きましたが、遺族の方たちは実名報道にNGを出してるのにやっちゃったワケなので、どんな言い訳をしても「自分たちの主張が全て」って形に見えてしまいます。

相手の立場に立つ努力ができるかどうか

どんなことでも、相手の立場に立てるかどうかってものすごく大事だと思います。

加えてその相手のことを知ろうとする姿勢も大事です。

それを意識してできるかどうかで、いろんなトラブルが単純に減りますよね。

相手の感情や考えを100%理解するのは難しいです。

でも「もし自分があの人だったらどう感じるかな?」と一瞬でもいいから想像することはそんなに難しくありません。

当たるとか外れるとかはとりあえず関係なしに、「一瞬でもいいから想像する」だけでいい。

でも、こういう想像する力とか、相手に共感する姿勢とかが足りない・できない人が多いんじゃないかって、最近特に感じるんです。

ちょっと想像を巡らせるだけで止められるような言動でトラブルを起こしたり、傷ついたり傷つけられたりするケース、目立ってきてるんじゃないかなと。

『自分を見て!』と大多数に向かって自己主張・自己発信ができちゃうインターネットの環境とか、個を大事にする時代の変化とかも少なからず影響しているのかもしれません。

自分を満たすこと、自己主張することは大事です。

他人の意見に左右されて、自分の軸がブレるのもメンタルの安定につながらないのでよくありません。

相手のことばかりで自分のことがおざなりになるのもダメですよね。

でも、こういうことと相手に立場に立てるか、相手の視点になれるかどうかはまた別だと思うんです。

たった一人で暮らしていくなら別ですが、周りに人がいる限りは、その人の立場に立てるかどうかの力は必要になってくると思います。

人と人とのコミュニケーションでは、その相手を知るってことも大事なワケで、それができれば相手の立場に立つこともそれなりにできるはずで。

いい関係を築きたい、末永く仲良くなりたい、って思うのなら、「相手を知る」「相手の立場に立つ」この能力を身につけることをオススメします。

誰かは誰かの大切な人

今回のことで改めて「相手の立場に立てるかどうか」ってものすごく大事だなと思い、書き留めてみました。

旭川の一件も同じです。

亡くなった人はアナタにとっては全く無関係。
それは間違いありません。

でもです。

もし同じ状況でアナタの親兄弟、大切な人が亡くなったとしたら?

今と同じように他人事として扱えますか?

「誰かは誰かの大切な人」です。

一瞬で良いから、相手の立場に立つ意識を持って、世の中を見回せるようになってください。

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