アカペラをやってきて

こんにちは。がやです。

僕は某大学医学部医学科の6年生で、アカペラ部に所属しています。1年生の初めに入部したので、今に至るまでおよそ5年ほどアカペラをつづけてきたことになりますね。随分と長いことやってきたなと思っています。そこで、今日はこれまでの僕のアカペラライフを振り返ってみたいと思います。

目次

1.アカペラとの出会い

2.初めてのリード

3.ボイパを始める

4.ライブ出演

5.コロナ禍での活動


1.アカペラとの出会い

アカペラとの出会いは、1年生の時の新歓期でした。当時、僕は部活に関して、「運動部は絶対に嫌だな、文化部も特にいいところはないかな」という思いを抱いており、正直部活に入らなくてもいいかなと考えていました。そんな時に偶然友達がアカペラ部の新歓に行くというので、ついて行ってみました。そこにいた先輩方が皆親しみやすかったことと、僕自身が中高で吹奏楽、オーケストラをやってきていて、音楽に特に苦手意識はなかったことを鑑みて、アカペラ部に入ることを決めました。

2.初めてのリード

アカペラ部に入って、最初に行ったことはスタバンの結成です。スタバンとは、アカペラ部に入って最初に先輩方と組むバンドのことです。そのバンドで僕はリードを務めることになりました。アカペラではパートは大きく分けると4つで、リード、コーラス、ベース、ボイスパーカッション(略してボイパ)です。リードはいわゆる歌手のように旋律を歌うパートで、人々を惹きつける絶対的な歌唱力が必要となるパートです。はっきり言って僕がやっていいのだろうかと不安を感じながら、練習を始めました。歌う歌は1年生が決めていいよ、と先輩方がおっしゃるので、僕が比較的まともに歌える、BUMP OF CHICKENの「天体観測」を歌うことになりました。リードを歌いながら、キレイにハモる先輩方を見ていて、感動しました。何回か練習をしてスタバン発表会をして、部員の前で歌を披露して、スタバンとしての活動は終えました。リードは、他のパートにはつられにくいパートだと思いますが、それでも僕の歌の音程はブレブレで、アカペラの難しさを感じた期間でした。

3.ボイパを始める

スタバンでの活動を終えた後、先輩方がまたバンドを組もうと誘ってくれました。スタバンでは、僕はリードをやることに決められていましたが、このバンドでは、好きなパートを選んでいいよと言われました。そこで、アカペラ独特のパートであるボイパをせっかくだからやってみたいと思い、「ボイパやりたいです!」と、ラインで発言しました。これが、僕がボイパを始めるきっかけとなりました。先輩方に「じゃあ、よろしく!」と言われ、僕はボイパの練習を始めました。練習にはまず、見本が必要です。そこで、youtubeでボイパの解説動画を見ることにしました。解説者の口をよく見て、それを真似て、音が出るまで根気強く練習を続けました。風呂で練習したり、帰り道で練習しているうちに、解説動画で解説者が出しているような音には到底届きませんが、それっぽい音は出るようになりました。それっぽい音が出るようになってから、曲に合わせてボイパを打つ練習を始めました。曲はワンピースの主題歌の「ウィーアー!」でした。リズムが速いので、遅れず打つだけでも大変でしたが、何とか打てるようにして、学祭に臨みました。ボイパの腕前としては当時まだまだでしたが、とにかく楽しく取り組んでいたのは覚えています。

4.ライブ出演

1年生の時、当時医学科5年生だった先輩方、また看護学科3年生だった先輩方に誘われバンドを組みました。ボイパが上手くはない自分に対して先輩方は優しく、アドバイスもたくさんくれて、とても居心地の良いバンドでした。そのバンドで僕が2年生の時に、先輩方の卒業ライブに出演することになりました。それまでは大学の教室、ホールでしか人前で歌ったことがなかった自分にとって、それが初めての外部の会場でのライブとなりました。曲は渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」とHysteric Blueの「春」でした。お世話になっている先輩方と大きなステージに立てて、歌った後は達成感でいっぱいでした。今でもそのステージのことは思い出すことがあります。自分にとってはとても思い入れのあるステージとなりました。

この卒業ライブを終えたあたりから、僕はバンドに誘われることが増え、所属バンドもどんどん増えていきました。当時ボイパを担当する人は全然いなかった(今でもあまりいませんが)ので、僕くらいしか誘える人がいなかったのだと思います。「自分でいいのか?」と誘われるたびに感じていましたが、僕のモットーは「誘われたらよほど忙しくない限りは、基本そのバンドには入る」というものだったので、誘われたら全部断らず入っていました。結果的に10バンド程度かけもちするようにまでなりました。今振り返るとやりすぎだと自分でも思いますし、学祭の前なんかバンド練ばかりで忙しい日々でしたが、アカペラは好きなので、楽しく続けることができました。毎年9月に行われる外部の会場でのライブも、年々出演バンドは増えていき、昨年のライブでは、僕の出るバンドは全11バンド中7バンドにまでなりました。「お前出すぎだろ!!」とみている人は思ったに違いありません。ライブの前半が終わった時点ですでにかなり疲れていましたが、自分がプロデューサーとしてもかかわっていたライブだったので、ライブの後半もすべてのバンドで全力を出し、ヘロヘロになりながら、何とかライブを終えました。すでに卒業して仕事を始めていた看護学科の同期、そして医学科の先輩方もたくさん見に来てくれて、本当に嬉しかった。自分にとって忘れられないライブになりました。

5.コロナ禍での活動

そして現在、コロナ禍でみんなで一つの場所にあつまって歌うことができない状況にあります。しかし、twitterでは、リモートアカペラといって、それぞれが歌った音源を合わせるという形式のアカペラが流行っています。それに便乗して、僕の所属しているバンドでも、リモートアカペラをしました。直接合わせるよりも難しく、面倒くさい点はありますが、これはこれでなかなか面白いというのが率直な感想です。最初にパーカスが録音して、それを聞いて他のパートが合わせるという形で行ったので、パーカスはリズムにいつも以上に気を付けて録音する必要があり、大変でしたが、リズムキープのとても良い練習になりました。緊急事態宣言が解除されてもすぐには元の状態に戻れるものではないので、今後もゆるくリモートアカペラはやっていきたいと思っています。

こんな感じでざっと僕がどのようにアカペラに取り組んできたか、振り返ってみました。飽きっぽい僕がよくもまぁこんな長く続けられたなと思っています。これも、周りの人が親しみやすく、いい人ばかりだったからです。環境に恵まれました。

これからもアカペラは出来る範囲で続けていきますし、何か気になったことあったらまたnoteに書いていきます!!

それでは、また会いましょう








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