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『黒革の手帖』と女たち

Youtubeで、『黒革の手帖』をsuggestされた。

松竹シネマPLUSシアターというチャンネルが9月1日に出来て、開設記念に山本陽子版の『黒革の手帖』が隔週で配信されている。

僕世代の『黒革の手帖』と言えば米倉涼子版で、武井咲版ともどもリアルタイムで観た口なのだけど、山本陽子版は見たことがなかった。

おおよその話の流れは同じだけど、細々と違う部分があり、結末は3つとも違うので、その違いが面白かったりする(山本版の結末は小説にわりと忠実なのだと思う)。

音楽をジャカジャカ流してドロドロ満載な米倉版と武井版も、それはそれで面白いけれど、時代の違いか山本版は静かで台詞の声がよく通る。クラブのママになった後の山本陽子さんの美貌と澄んだ声、それでいて腹黒な所にハマってしまった。



『黒革の手帖』の何が好きなのかと考えると、そこに女の意志と覚悟の強さが見てとれるからだと思う。

あまり短絡的に男女の話にしたくないけれど、どうやっても男には敵わない強さが女にはある、と男の僕は思う。

それか単に、僕も多くのゲイのご多分に漏れず、強い女が好きなだけなのかもしれない。



『黒革の手帖』には、主人公の元子だけでなく、重要な脇役の2人の女がいる。クラブの客である病院院長の経営する病院の婦長と、元子の店のホステスである波子。この2人の配役は、3つのドラマのどれも唸ってしまう配役だ。

基本的には男は金と地位を持っていて、それを持たざる女の生き方が見所なのだけど、僕は女達の啖呵の良さに憧れる。
それが女の強さなのだと思っている。



女の生き方で思うのは、僕の周りの女性である母と姉のことだ。

母のことは何度かnoteに書いた。一番詳しく書いたのはこれか。


母もとても強い人間だと思うが、姉も負けず劣らず強かった。
過去形なのは、もう死んだからだ。

姉は、僕が15歳の時に、18歳で首吊り自殺した。

母の涙も、高校の担任教師の涙も見たが、僕は泣かなかった。
逆に、姉が姉らしく人生を自ら終わらせたことをちょっとは褒めてやらんのかと思っていた。

姉はたぶん、自分が思う強さに、自分自身が付いていけなくなったのだと思う。その強さの全うの仕方が自殺だっただけだ。

能動的な死もあるのだと尊敬の念を感じた。



強過ぎて退職した母も、強過ぎて死んだ姉も、他所から見れば、それは破滅という結末なのかもしれない。

『黒革の手帖』の元子も、各版の結末は違えど、どれも破滅である。

でもそれは、他所から見ただけの結論付けに過ぎないのだ。
武井版の結末のように、最期まで凛とした強さで微笑んだのかもしれないのだから。



うちは母方の祖母も強い人間で、つくづく僕は強い女の家系の人間なのだと思う。

かく言う僕も、半期末の職場で強めの啖呵を切ってしまった。
他人に言わせれば、言わなくていいものなのだろう。

でも僕は、言ってしまうべきこともあると思う。
他人に迷惑かけなければ、ね。

これを『黒革の手帖』の所為にはすまい。
ただ、女の強さに憧れてしまう僕の所為だ。

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