『こっち向いてよ向井くん』を語り足りないゲイ
>>このnoteはドラマ『こっち向いてよ向井くん』第9話をもとに書いています。第9話のあらすじと感想のnoteは、こちら。
さて、前回のnoteの続き。
胸にざくざく刺さる台詞のラッシュだった第9話。
今度はゲイ的な目線で語りたい。
僕らゲイは、現状、パートナーシップ宣誓以外に適切な関係性を示せるものがない。そのパートナーシップ宣誓そのものも法的拘束力はない(公正証書を作るものは、当事者間においては法的拘束力があると理解している)。
じゃあ、そんな僕らの関係性の名前って何だろう。
名前のついた関係がお互いを失わない唯一の方法だと思っている人だったら?
関係性が曖昧なまま一緒に居続けることの難しさは?
この話、全部ゲイの不安と一緒なんすよ。
麻美と元気は、結婚当初は世の中の当たり前にしたがって婚姻した。でもそれだとしっくりこなくなったから離婚した。でも一緒に居たい気持ちは変わらない。だから形だけの離婚だけをする。
麻美と元気には子どもがいないし、すぐに授かりそうな気配もない。家は麻美の実家に住んでいるから、住居の購入や契約の問題も暫くは起こらない。
そういう環境だから選べた選択肢なので、全部のしっくりこない夫婦が取れる選択ではないけれど、でも僕らは確固たる関係性の名前が欲しい人達がいてもどうにも出来ないのが現状。
だから求められているのが同性婚。そういう話。
僕は同性婚願望があるわけではないし、なんなら今は恋人願望もない。
だけど、もし付き合いたいくらい好きになった人に、将来は異性婚の予定だとか、クローゼットだから2人であまり外出したくないとか言われたら、どんなに好きでも付き合わないと思う。
僕の2人目の彼氏は、それより少し濃度は薄かったけど、そんな傾向のある人だった。
このままずっといても、結局何も残らないんじゃないかという思いは、確実に自分をナーバスにさせる。それは、日々の瞬間瞬間の気持ちがとても最高なものであったとしても。
その彼が女性と結婚すると言い出すとしたら、あとに残されるのは、20代後半という美味しい時期を失った孤独なおっさんゲイ。
いい思い出だったという気持ちだけでは、生きていけないものだ。
僕らの出会いは、ゲイであるという大雑把な箱の中にある。その箱の大雑把さは、時にとても面白い。
年齢も職業も生活環境も、ノンケの世界とは比べられない程幅広い人との出会いがある。
だけど、出会った人のほとんどは関係性の名前を持たずに終わる。ただ、アプリで会った人、という括り。
相手が良い人だったとしても、お互いの状況、タイミング、色々なボタンが上手く合わないと続かない。
だから、きっと皆んな都会に出るのかな。
「ゲイ」という箱から、例えば「東京のゲイ」という箱にするために。
ゲイの人数が多い方が、どんどん箱を縮めていける。
箱が縮まれば、関係性の名前も付きやすい。
ほんとに、そう。
その繰り返しで、何年も過ぎてしまったよ。
関係性の名前って、互いに疲弊しないためのものだったりする。
恋人、夫婦、だったら浮気は駄目だよね、とかね。
それが麻美にとっては巡り巡って疲弊する原因になってしまっているのは、なんとも言えないジレンマなんだけど。
まじでそれ。
恋人とか欲しいと思ってない僕でも、そう。
なんでだろ。人間やっぱり一人では、いつか自分を支えられなくなるんだなと思う。
『こっち向いてよ向井くん』を観て、僕がいつも思っていたのは、『逃げるは恥だが役に立つ』と雰囲気が似通っているな、ということ。
登場人物それぞれの生き方を、どれも否定せず、どれも持ち上げず、それぞれに楽しさと苦労と悩みがあることを丁寧に掬っている、そういう雰囲気。
『逃げ恥』では、契約結婚という箱で二人が出会い、最終的に箱の中身を埋めていって、真の結婚、夫婦になっていったわけですが、『向井くん』ではどうなるのか。
向井君と坂井戸さん、麻美と元気、それぞれが自分達の関係性にどんな意味を見出すのか。
そんなところでしょうか。
>>ここまででもとっても長くなってしまったのですが、実はまだ語り足りないことがあり。『こっち向いてよ向井くん』話、まだ続きます。
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