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センチメンタルジャーニー

長い休みを取って、友人と元彼の家に連泊するという迷惑な長旅をした。

久々に会った友人と元彼達。みんな彼氏持ちで、みんな犬を飼っている。
何の責任もなく、たまに現れるおじさんとして犬を可愛がるのは楽で楽しい。無責任だけど。



元彼は親子のラブラドールを2頭飼いしている。
成犬は僕の肩に脚を乗せられるくらいデカくて散歩に難儀するし、仔犬はわんぱくで言うことを聞いてくれないので大変だったが、何よりも可愛い。

犬がいると何時も目が離せないので大変だなと思ったが、子育てはもっと大変なのだろうと思う。

しかし、普段ずっと一人でいると、ただただ自分のことに没頭してしまうのが僕の性格で、それで病むことも多い。
自分よりも手がかかる不完全な存在がいることで、過度に自分にフォーカスせずに気が紛れるなとも思った。

犬をあやしていると自然と優しい言葉になる。
本当に一人でいる時の独り言はなんかヤバいけど、犬といる時の独り言はセルフセラピー。
愛情を注げる存在があるということは偉大だ。

犬を散歩していると自然に周囲の人と交流する機会が生まれるのも発見だった。そういうところも子どもと同じかもしれない。
なんとなく地域社会から距離を置きがちな我々には、いい面だと思う。

ゲイカップルで犬を飼うのはテンプレ過ぎるなと思っているが、可愛いだけでなく、いい鎹なのだとも思う。



泊まらせてもらったカップル達は、毎日些細なことで言い合っていた。
じゃれあいなのか、プロレスなのか、まじな喧嘩なのか、傍目からよく分からないのは犬と同じだ。
傍から見ると、そんなに口喧嘩してよく暮らせるものだと思う。

それでも、垣間見える行動からは、彼らの底流にはきちんと愛情があるのだなと思わされた。

なんだろう。僕は完璧を目指しすぎているのかもしれないなと思う。

付き合っているんだから、同居しているんだから、そこには常に穏やかな雰囲気が流れていてほしいと願う。
僕はそんなことが出来そうもないから一人なのだけど、言い合いが許容出来るから愛なのかもしれない。

年月を重ねれば、言動ではなく行動なのだろうか。



結婚って魔法だよね、ということを友人と話した。

それを一つの目標にして、二人の間で色々なものを積み上げていくことが出来る。
それが、周囲からの祝福という目的であったとしても。

その魔法は、ほぼ無条件に周囲から祝福されるから、当人達も自分達は幸せなんだと感じられる。そういう単純な作用。

そんな魔法がない人達は、何を目標に誰かと人生を共有すればよいのか。



友人と元彼達を見て、なんだよ、皆んな、何食べじゃないかよって思ったけど、まぁそれぞれ悩みはあるみたいだった。

一人の友人はバイト生活のままの彼氏に悩み、元彼はパートナーシップと歳上の彼氏に先立たれることに悩んでいた。

完璧主義な僕なら、一生その手前で悩み続けるようなことだ。
踏み出す最後は、意思でしかないのだと思う。



家を出る日、空気を察するのか犬達もしおらしくなっていた。
犬は飼い主に似ると言うが、久々に会った友人や元彼達は、不思議と犬顔に近くなったような気がした。毎日過ごしているとそうなるのかもしれない。

犬顔の男っていいよね。



久々に内地に行ったので、生まれた土地も訪れてみた。
煮え切らない人生の何かきっかけにならないかと思っていたが、何の感傷にも浸らなかった。

僕はとことん土属性の人間ではないのだと思う。



久々にずっと誰かといると、孤独という毒は知らず知らずのうちに自分を蝕んでいくんだなと思う。

友人と元彼達の家に泊まらせてもらいながら、なんとなく穏やかに拒否されているのだと感じた。
同じ家にいながら、僕の入ってはいけない領域が確実にあった。



一人の家に帰って来ると、どうもほっとする部分もある。

僕は孤独の虜になっている。

そういう意味でも、孤独はやはり毒だ。

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