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瀧神社へ おそらくアトランティス時代の傷の一部が癒された

突然呼ばれた瀧神社

6月のある日、自転車で地元の神社に向かっている途中、「瀧神社、瀧神社瀧神社、たきじんじゃ」と頭の中に声が聞こえてきます。

え、と思ったけど、あ、はいわかりました、とこの時は素直に従いました。

彩咲ちゃんねるさんという方のYouTube動画でおすすめされていて、気になっていた神社でした。

家からまあまあ遠いので躊躇していましたが、この日は一念発起で支度してすぐ向かいました。

道中ロングドライブを楽しみ(ドキドキしつつ)やっと着きました。


滝神社境内にて

鳥居のそばまでくると、手がビリビリとします。


これが、精霊さんがパクパクと気を食べている感じかな?と思いました。

なんとなく左のほうが強く感じたので写真を撮りました。



後ほど動画を見返すと、咲さんも左が強いとおっしゃってました。
左手の奥に滝があるからかもしれません。


境内で出会った方とお話しすると、同じようにYouTubeを見て訪れたとのことでした。

後からいらっしゃった高齢の女性が祝詞を上げはじめると
そこらじゅうの気の粒子がぶわーっと舞い上がるように見えました。


その方が本殿の前に立った瞬間に晴れてきましたし、神様も喜んでいらっしゃったのでしょうね。確実に高次元の存在はいると感じました。

不思議なことに、立ち話した方で、ご利益を求めてこられた風の男性がいらっしゃった間は曇っていました。

天気は意外と神様の気持ちと関係あるのかもしれないと思いました。


心の奥深くを癒してくれた滝さま


本殿にお参りした後は近くの滝をお参りしました。

地元の方には権現さんと呼ばれているそうです。


ここのエネルギーは正直すごかったです。



滝の前に立っていると、自分を表現したいのに表現できないという怖さ、人目を怖がる怖さが次々と思い浮かび、滝の水の流れを見て、細かい水しぶきを浴びていると、その怖さが解けていき、自然と涙が流れていました。

自分は特にそこまで悪くないはずなのに、鋭い敵意を向けられるということがあって悩んでいたのです。


それは人やシチュエーションを変え、子どものころから続いているものでした。

私の何かがおかしいのだろう、そう思って自分を恥じ、うっかり自己表現しては恐れ、閉じてきました。


しかしながら、そうやって自己表現をせずに抑え込み、人目を怖がって生きることに自分が思う以上に疲れ消耗していたのです。

それが、滝の前で「だいじょうぶ もうだいじょうぶ」という頭の中の声とあふれる涙と共に溶かされていきました。


私がおかしいから、敵意を向けられているのではなく、

「敵意を向けられることを恐れて自己表現をしない」

という傷を乗り越えさせるために、

そういう人物が「キャストとして」現れてくれているのだ、と理解しました。


そして、その傷というのは、アトランティス時代に霊性を隠して自己表現を抑えて生きていた名残なのではないかと感じたのです。

これは、正解や真実はわかりません。ただ、自分がそう感じたからそうだと信じています。

涙が流れ切ると寒いほど吹いていた風がおさまり、晴れてきました。

文字通り晴れやかな気持ちで岐路に着きました。


自己開示するために始めたnote


私は自分の中に隠してきた霊性を開示するためにnoteを始めました。

だからこそ、初回記事にこのエピソードを選んだのだと今気づきました。

宇宙は完璧です。恐ろしいほどに完璧だと感じます。


実生活何気なく感じた見えない領域を、これから少しずつ言葉にして確かめていきたいと思います。



最後までお読みいただきありがとうございました。

めりあ


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