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大丈夫は生きやすい

昔はそうでもなかったのに、いつ間にか私にも
「○○でなければならない」
が増えに増え、
それで自分で自分を生きにくくしていたことが
ここ数年でよくわかり、目が覚めた。

いつからこんな風になったんだ?と
自分なりに検証してみると、
「母の立場になってから」の可能性が高いことが
思い当たった。

動物でも、ヒナや子を守る母は殺気だっている。
私の場合も、これに近い状態になって
「この子を守らなければ!」
とオニババ化していったのかもしれない。

極端な発想かもしれないが
そう仮定して話を進めてみる。

独身時代は、ボーッと生きていた。
まさに箸が転がっても可笑しい。
と言っても、それなりに悩みはあっただろうし
「死にたい」と思った事もあるし
泣いたり怒ったり笑ったり
毎日をマジに生きていた。
だけど、母になってからの自分と比べると
あきらかに気楽だし軽すぎるし
「ボーッと生きてる」ように
見えてくる。


元々あったのかもしれないのに
出番のなかった私の神経質な部分が、
どんどん成長して発揮され
鍛えられてムキムキマッチョになっていく。

添加物や農薬、電磁波、教育、医療、政治
いままで気にしていなかった様々なことばかり
目につき気になるようになった。

学校、PTA、行事、当番、手続き、仕事、お金の管理、、
身の回りのことも、忘れ物や失くし物をしないように
失敗しないように、完璧にやりとげなければならない。
いつもピリピリ自分を見張るようにもなったし

何より子どもに危険がないように
いっときも気持ちが休まらない。
無意識に常に気が張っていたと思う。

いつしか、それが私の「通常モード」になってしまっていた。

顔も険しくなっていたかもしれない。
身体や神経も疲れていたかもしれない。

思えば毎年インフルエンザになっていたし
30代40代が人生で一番不健康だった。
53歳の今が人生で一番健康だと感じている。

話はそれるがこの前スーパーの駐車場で
停める場所を探しながら走っていたとき
ひとつ空いてる所があったから
進んでいたら、
同じペースで正面から大きなワゴンが来ていた。
運転席からおそらく小さい子を持つ母らしき人が
ものすごい殺気を放射してこちらをにらみつけていて
私はそのスペースはあきらめて、通り過ぎて別の場所を探した。
その時に「あれ?これだ!」と膝を叩いたのだった。

あの運転手に私は「母の殺気」を見ました!
あれこそ、私が言語化したかったものの化身!
無意識に、この子を守らなきゃ!と24時間365日追い詰められたら
そりゃあ出る!殺気立つんです。譲れない何かが
追い詰めてくるんです。

やがて子どもは成長して、自分の力で生きていく力がつき
巣立っていったら、やれやれ、と責任から解放されて
またボーッと生きれるのか、というと
残念ながらそんな簡単ではなく

20年以上長い人ではもっともっと
母の責任が板についてしまうと
それが自分の元々の性格だと思い込んでしまう。
母の仮面が、映画「マスク」みたいに自分の顔にべったり張り付いて
おでこにあるメガネを探すみたいに気がつかない。

だけど私は「母である自分」と「本当の自分」は
結構重複してない部分が多くあると思う。
気に入ってるとか、生きやすいならそのままで全然良いけど
しかたなくつけた仮面ならば、さっさと外したほうが断然生きやすいし
気持ちが良い。

昨日の歯医者さん、なぜか詰物の素材を選ばせてもらえなくて
銀、一択!
だったんだけど、
以前の私は「銀は身体に悪いから歯には入れません!」と
拒否して、病院を変えたりお金もかかったり大変だったと思う。
だけどその「○○でなければならない」を捨てたら
すべてが「どんなことでも私は大丈夫な人」となり
めちゃめちゃ生きやすくなっている。
電磁波あびても、全然大丈夫な人。
銀を詰めてても、全然大丈夫な人。
あー!神経質じゃない人って、こんなに楽に生きられるのかー!

いったん、そうじゃない対極を味わったからわかる、
この世界!

だから、あっちもこっちも全部
必要な体験だったんだろう。とは思いつつ
でもこれからは自分で自分に
わけのわからない制限はもうかけたくないなーと
感じている今日この頃です。


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