なぜ僕は映画を観るのか

みなさんこんにちは、ガワノートと申します。
Twitterではがわさんという名前で映画アカウントを細々とやってます。映画が好きなんです。

今年はコロナ禍もありいつになく映画館に行けない日々を過ごしておりました。
2ヶ月半以上映画館に行かないというのは15年ぶりくらいですかね。

映画そのものも好きなんですが、劇場自体の雰囲気も同じくらい大好きなので自粛期間は我慢の日々でした。

自宅で過去の作品を観る中でふと考えていたことがあります。

「なんで自分は映画を観るのだろう」


今まで当たり前のように観てきたから考えもしなかったけど、続けてきたからには何か理由があるはず

で、たどり着いた結論は…


「自分の映画を見つけるため」


だったんです。
これどういうことかというと、

・自分のために作ったんじゃないかと錯覚する

・自分の人生を振り返る

・自分の生き方を代弁してくれる

そんな映画に出会うため、今まで映画を観てきたんだということです。

映画を観ていて「これは自分の映画だな」と感じたときの気持ちは何物にも替えられない特別な感情です。
ある種の承認欲求の満たされでもありながら自らの行いを省みて苦しいこともあります。
でもそうやって心を揺すぶられるのがたまらなくかけがえがないのです。
そんなときどうしようもなく泪が溢れてしまうのです。
そんな体験を期待して、映画館に行くのです。

ここでひとつ、僕が「これは自分の映画だな」と思った作品を紹介してこの投稿の締めにしましょう。

『バッファロー'66』
※以下ネタバレあり

この映画とにかく主人公が最低でダサいんです。
初っ端から主人公がイライラしながらトイレ探すシーンですからね。
全く共感できないな、自分勝手な男だなと思いながら観ていくわけです。
でも、そんな中である女性と出会って徐々に彼の置かれた不遇な立場、不器用すぎるけど純粋な心が明らかになります。

ただただ素直になれないだけ、自分の気持ちを伝えるのが苦手なだけ
それ故に周りの人とうまく付き合っていけない

気づけば僕は彼に心を重ねていました。
彼の抱える劣等感は僕の抱える劣等感でもありました。

一番好きなシーンがあります。
主人公ビリーがトイレで一人「生きられない」と号泣するシーン
生きるのってなんでこんなに難しいんだろう、
人並みに生活するのってこんなに大変なのかな。
彼の「生きられない」には僕の気持ちが詰まっていました。紛れもない「自分の映画」でした。

『バッファロー'66』は今でも大好きな映画です。ストーリーもさることながら映像面も音楽面もとにかくクセがあって、でもそれが本当に作風とマッチしているんです。
万人に刺さるわけではないと思うけど、それでも僕にとって大事な作品です。こういう出会いのために映画を観てるんだなあと思えたんですね。
そんな体験ができる映画って良くないですか?
そんな映画を探しにこれからも僕は劇場に行きますよー


こんな感じでちょくちょく更新していこうかと思います!
さいならー

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