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ふうさんから届いた凄まじいメール

今朝、起きると、
ふうさんから1通のメールが届いていました。

早速、読んでみたところ、
凄まじい内容に驚愕いたしました。

語彙が貧困なわたしは、
こんな表現しかできませんが、
とにかく凄まじいのです。

わたしなんぞのnoteを読んでくださっている皆さんにも、
ぜひとも、ふうさんの凄まじさを体感していただきたいので、
ご紹介させていただきます。
(ふうさんから掲載の許可はいただだいております)

ちなみに、最初に申し上げておきますが、長いです(笑)。

+++

yamapon様

テキストを少し読んでいましたが、早速、「漸進的」という言葉が否定的に用いられている箇所を発見しました。

「神は段階を踏まない。神の達成は漸進的ではないからである」(T-7.I.7:1)

ここですが、原文を見ていて、ついに、これは公認訳は、もしかしたらだめかもしれないという気がしてきました。

「神の達成」と訳されているのは、原文では「His accomplishments」なんですが、「accomplishment」は、不可算名詞としては確かに「達成」という意味がありますが、ここ、複数形なんです。

つまり、ここの「accomplishment」は可算名詞なんです。

可算名詞としての「accomplishment」は、「業績」「成果」といったような意味のようです。

たぶんですが、JACIMはここで「His accomplishments」というのを、神の最後の一歩と結びつけて捉えたのではないか。

そのため、例えばですが、学習者が学びを達成するというような感覚で、「達成」と訳したのではないか。

そうするとここは、学習は漸進的ではないという意味がうかがわれ、それはいかにもコースが言いいそうなことになります。

つまり、「実はすでに達成されているのである」的なことですね。

ですが、「accomplishments」を「業績」として受け取ると、これは、神の業績は漸進的なものではないという意味です。

つまり、例えば、神の創造は時間の外で一瞬のうちに行われたというようなことを指しているように感じられます。

そして、「神が最後に何かをしたりはしない」(ibid. 7:3)ですが、これもわかりにくいです。

原文は「He does nothing last,」です。

これはおそらく、「神が最後に何かをする、ということではない」というようなことなのかもしれません。

それは、その文の後半、「because He created first and for always.」が、その理由ないしは根拠です。

create が過去形なので微妙ですが、「for always」は「いつも、永遠に」という意味なので、これは、「神は最初に創造し、そしていつまでも創造し続ける」、というような意味かもしれません。

そして次に、「神について用いられる「最初」という言葉は、時間の概念ではないということが理解されなければならない」(ibid. 7:4)とあります。

つまり、時間的な順序としての「最初」ということではない、ということです。

で、「神は聖なる三位一体において第一のものだという意味で、最初である」(ibid. 7:5)とありますが、ここは日本語だとどうしても、「第一のもの」と「最初」とは、実は英語では同じ「first」である、ということがわかりにくくなります。

ただし、「第一のもの」と訳されている方は、大文字の「First」である、つまり、これは神に当てはまるということです。

いずれにしてもここは、神が最初であるということを指しているのでしょう。

そしてその次ですが、「神は原初の創造主である」(ibid. 7:6)というところ、「原初の創造主」というのは、元の英語は「Prime Creator」ですが、「prime」は通常は「至高の」というような意味であり、「原初の」というのは例えば「original」は「原初」と訳されます。

英語「prime」の意味・読み方・表現 | Weblio英和辞書

で、「第一の」「最初の」といった意味もあるので、もしかしたら「原初の創造主」でもいいのかもですが、ここはもしかしたらですが、「最も重要な」といったような意味かもしれません。

ですからここでも、「最初」というのは時間的な順序のことではない、ということと通底しています。

創造者としての神の子よりも、さらに「高い」存在である、といったような意味に受け取った方が、なんかしっくりくる感じはあります。

ただし、だからといってこの受け取り方が正しいかどうかは、これだけではわかりませんが。

で、そうすると次の、「なぜなら、神はご自身の共同創造者たちを創造したからである」というのは、まず、助詞は「は」ではなくて「が」にするだけでも、意味が分かりやすくなるかもです。

つまり、「神がご自身の共同創造者たちを創造した」からこそ、「神は共同創造者たちよりも「一段上」の存在としての創造主である」、というようなことなのでしょう。

「共同創造者」というのは、つまり「神の子」のことだというわけです。

「神がそのように創造したからこそ」(ibid. 7:7)は、原文では「Because He did,」だけです。

これはおそらく、「神がご自身の共同創造者たちを創造した」、ということを指しているものと思われます。

そして後半の、「時間は、神にも神が創造したものにも当てはまらない」というのは、つまり、神が創造したものは神に似ているからこそ、神には時間が当てはまらないのであれば、同様に、神の共同創造者にも時間は当てはまらない、ということでしょう。

ですからここは、もちろんそのままでもいいんですが、例えば、「神の共同創造者たちを創造したのは神だからこそ、時間は、神にも神が創造したものにも当てはまらない」と訳すと、多少はすっきりするかもです。

さて、次は、「したがって、神が踏み出すことになる「最後の一歩」とは、はじめも、今も、これからも、常(とこ)しえに真実であり続ける」(ibid. 7:8)です。

これ、「真実」と訳されている元の英語は「true」なので、「真実である」というよりは、「真である」、つまり、「正しい」というような意味なのでは。

それから、ここの訳は少し省略が入っています。

原文は、「The “last step” that God will take was therefore true in the beginning, is true now, and will be true forever.」です。

ですから、「したがって、神が踏み出すであろう「最後の一歩」は、はじまりにおいても真だったし、今も真であり、永遠に真であり続けるだろう」みたいな感じなのかもです。

名詞として「真実である」となるのであれば、元の英語は、例えば「the true」というように名詞である必要がありますが、ここでは形容詞です。

そもそも名詞の場合には、通常は「truth」となり、これなら「真実」と普通に訳されます。

で、次は「時間を超越したものは常にそこに存在する。その実存は永遠に不変だからである」(ibid. 7:9)ですが、ここは英語だととてもシンプルでわかりやすいです。

「What is timeless is always there, because its being is eternally changeless.」

「timeless」は「永遠」という意味です。

調べてみたら、「timeless」には「時代を超越した・時代を超えた」という意味もあるようなので、おそらくですが、これに引きずられて、「時間を超越した」という、いささかひねりがきいた訳になったのかもですが、これは普通に、「永遠なるものは常に目の前に広がっている」的なことですわ。

というのは、「there」はそんなに難しい意味ではありませんから。

英語「there」ってどうやって使うの? | この英語どうやって使うの? | QQ English

つまり、「ほら、そこにあるでしょ」程度の意味です。

つまり、ふと気が付いたら、眼前のすべては「永遠の相の下」にあった、みたいなことなのかもです。

永遠の相の下に|スピノザ | Hitopedia

もちろんこの連想はぴったり同じではありませんが。

で。

次が、このメールを書く必要を感じたきっかけです。

公認訳で、ここで「実存」と訳されているのは、これは実は、明らかな誤訳なんです。

元の英語は「being」であり、これは普通に「存在」ということです。

そして、「実存」と訳されるべき「existence」の方が、なぜか「存在」と訳されている、つまり、「存在」と「実存」が逆に訳されているんです。

例えばここです。

「存在も実存も、コミュニケーションに依拠している。けれども、存在は、どのようにして、何を、誰とコミュニケーションを行うことに価値があると判断するかについて、具体的である。実存には、これらの区別がまったくない。それは、実在する一切と、心が親交(コミュニケーション)を保っている状態である」(T-4.VII.4:1-4)

原文はこうです。

「Existence as well as being rests on communication. ²Existence, however, is specific in how, what and with whom communication is judged to be worth undertaking. ³Being is completely without these distinctions. ⁴It is a state in which the mind is in communication with everything that is real.」

これは、私がたまたま大学で哲学を専攻したために、「実存哲学」という哲学で扱われる「実存」というのは、元の英語は「existence」てある、ということをたまたま知っていたために、公認訳を読んでいて混乱してきたので、原文を参照したら、訳が逆であることに気が付いたものです。

で、もちろんですが、哲学を専門的に学んだことがない人なら、「実存」も「存在」も別にそれほど意味に違いを感じないと思うので、加藤さんも、単に「実在的な存在」というように、「存在」を強調する感じで、「being」を「実存」と訳したのではないか、という気がします。

ですが、残念ながら、「実存」というのは哲学では、ほぼ人間のことなんです。

そして、上の個所ですが、例えば「けれども、存在は、どのようにして、何を、誰とコミュニケーションを行うことに価値があると判断するかについて、具体的である。」というところですが、これ、「存在」ではなく「実存」としてみると、これは普通に、人のことを指しているとすっきり理解できます。

で、先の個所ですが、おそらくその誤訳が踏襲されて、「その実存は永遠に不変だからである」となったのでしょう。

ここは、「because its being is eternally changeless.」となっていますが、ですからこれは、「永遠なるものの存在性は、とこしえに不変である」みたいな感じです。

さて、先に、「哲学では、実存とはほぼ人間のことだ」と書きましたが、念のために調べてみたら、必ずしもそうではありませんでした。

実存(じつぞん)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

「実存」を人間の意味で用いたのはキルケゴールが最初であり、それ以降の実存哲学においてのみ、「実存」は人間のことを指しているようで、それ以前には、「本質(essentia)」に対して「現に存在しているもの」というようなことであり、これだと確かに、人間だけではなく自然もまた「実存」に含まれるかもしれません。

ただしそうなると、先の、やや長い引用の中での「existence」は、「誰と」コミュニケーションするかに関して具体的だというのは、これは普通に、人間のことでしょう。

間違っても、存在が特定の人とかかわるということではないでしょうから。

ですから、ここはやはり、「存在」ではなく「実存」とした方がいいような気がします。

はじめはこれだけを書くつもりだったのですが、「神の最後の一歩」というのがどうもピンとこないので、今回、あらためて、T-7.I、「最後の一歩」をちゃんと読もうと思って読み始めたら、わけがわからんし。

で、しゃーないので原文を参照しながら精密に訳読する流れになってしまったというわけです。

ですから、この私の精読がそれほど間違っていないとしたら、もしかするとですが、「神の最後の一歩」とは、「時間が流れている」という感覚からの解放、というようなことである可能性があります。

つまり、「現在」がずっと続いている感覚であり、そうするとそれは実質的には永遠そのものですから。

この時点ではもう、現在と永遠との差異が消失しているわけです。

で、なんのことはない、もし本当にこうだったとしたら、これは、私の思い付きの言葉である「常今(とこいま)」ということでいーんじゃんかよー。

もちろんですが、だからといってこれは、この物理的な世界がそのまま永遠に続くという意味ではないでしょう。

そうではなくこれは、心の感覚においてのことですから。

「それは永遠に増大するものとして創造された」(T-7.I.7:10)とありますが、この感覚が、おそらくですが、ビッグバン宇宙論の元になった感覚でしょう。

つまり、これは物質的な話ではなく心の感覚のことなんですが、それを間違って物質的な感覚だと受け取ってしまったというか。

この捉え方には、実は根拠があります。

それは、ヌーソロジーの元になったチャネリング情報でも、「最後の審判とはビッグバンのことだ」という言葉があるんです。

「最後の審判」とはつまり、「マイ宇宙」の開闢のことだというわけです。

で、これは実は、コースによる最後の審判の説明とも、とてもよく整合しています。

ま、そういうわけで、やれやれですわ。

なんかまたお騒がせしましたが、別に変な意図はありませんので(笑)。

しかし、ここでハタと気が付きましたが、これでは宇宙は消滅どころか、逆に、始まってしまうことになりますがな。

うーむ。。。

ただし、ここで「宇宙開闢」としてしまうとわかりにくいですが、これは正確には、「マイ神の国」が展開し始めたということなのでしょう。

とりあえず、「disappear」で検索してみたところ、次のような文が見つかりました。

「だが、あなたの自己である彼は、あなたから遠く離れている。あなたが彼を攻撃することを選び、彼はあなたの視界から父の中へと消えてしまったからである」(T-12.VIII.2:3)

しかしここではこれは、自分が、自分の真の自己でもある神の子としての兄弟を攻撃したので、彼は神の中へと「お隠れになった」という話です。

で、「disappear」という言葉は、検索したらすごくたくさん出てきたので、今回はここまでにしておきますね。

ではではです。

ふう

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