福井晴敏『震災後』

2013年、すなわち餃子の王将の社長さんが殺された9年前に読んだときの感想。震災というものが日本沈没並みにバカバカしいと考えるかどうかは人によるであろう。

震災後から半年程度で書かれたもの。あの頃は原発事故も未だ一段落せず、という感じであったとは思うが、それにしては、克明かつ俯瞰した感じで書いている。

平平凡凡なサラリーマン主人公がいろいろあって、熱情に衝き動かされ、講演会(学校の体育館ではあるが)に登壇、しまいは万雷の拍手というのは、なかなか読ませるところがある。

以下不満。

主人公の父親はもはや末期ガンに侵され、余命わずかであるが、現役時代はすごい仕事をしていたらしい。しかし、それが何なのか最後まで分からない。人物のつくりこみとしては茫漠としている。主人公の父を以て、日本の愚民が安穏として過ごせるように汲々としたが、結局日本の崩壊を止められなかった悲しきエリートを象徴したいようだが、象徴するものが大きすぎる。結果として人物がうまく像として結ばれず、ぼんやりしたものとなった。

これまでのほほんと暮らしていた主人公が、原発事故をテレビで見て、一応ボランティア活動をしたとはいえ、父親から仕入れたにわか知識でいきなり、この世に悲観的となり、いきなり被害者面するところにはため息しか出なかった。まさか原発事故とバブル世代の悲哀とが、主人公の脳内で連結するとは思わなかった。

絶望的な日本の未来をあえて語るというのが主人公の講演のコンセプトらしいが、てっきり提示される話はもう少しスケールの大きなものかと思った。しかし蓋をあけてみたらそれはただの新発電方法であった。いや、別に新発電方法の話が大したことないというのではない。日本の事を語るのに、なぜ、発電方法の話だけで済ませられるのか。いろいろな不安を惹起させながら、最後には「○○さえ買えば大丈夫」というようなどこぞの通信販売とどれほどの違いがあるのだろうか。

しまいには、社会を壊し、創るのは男、男にしかこのロマンはわからないといいだす始末。はあ~。『亡国のイージス』を書く人は違いますなあ。言っときますが、自分はフェミニストではありません。論拠なき放言が嫌いなだけです。

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