早稲田理系が語る、「仏教の浄土宗の家から神道の家へ養子に入るという状況」と神仏習合の誤解の話し
始まります!
そもそも、神道をトップである○○の神や祭祀を司る天皇家に注目が行き過ぎ!
当たり前だが神道も浄土宗も
かなりのマスを相手にしマスを取り込んでいます!
早い話が、
東大のトップではなくとも、東大の一番下の成績の奴が、慶応のトップの家系に養子に入るとかなり目立ちます!
ここを偏差値や学歴という物差しだけで判断するとかなりの判断ミスとなります。
そもそも価値観、宗派が異なる!
とも言えるのだ!
では、天皇家の分家である宮家の三男坊が、例えば徳川御三家の分家に養子に入る可能性はあるのか?いや、何も徳川御三家でなくとも、浄土宗の家へ。
当然だが、何となくありそう、と皆さん感じがち。
一方で、、、、
何故、天皇家の分家である宮家の分家の分家に、徳川御三家の三男坊が、いや、浄土宗の家の三男坊が!
養子に入る事を想像出来ないのか??
理解に苦しみます!
そうなのだ!空気が読めて協調性がある人々は!
仏教の上の階級の三男坊ですら、神道の三番目位の立ち位置等
軽々と演じる事が出来るのだ!(さすがに天皇家を演じるのは無理だが)
では、何故仏教の偏差値70の浄土宗の徳川御三家の分家の分家の三男坊の人物が
神道の家へ養子に入り
軽々と神道の本質を演じると大衆はビックリするのか?
と言うと
神道の本質が、マス(大衆)を相手にしたサービス業の側面が見落とされがちな点と、仏教の権威はカリスマ性(神格化)を必要としている点を軽く考えがち。
簡単に言えば、徳川家は浄土宗に帰依していたが、浄土宗からみると徳川家は広告塔なのだが、徳川家の実力は空気が読める!と言う能力だし相手に気を使えるのだ!
なので、徳川御三家の分家の分家の三男坊が、神道の家へ養子に入ったならば天皇家に気を使っているのだ!
と言うのが教科書的判断になる。
が、しかし先ほど述べたが神道もサービス業であり大衆を相手にしており
そんな必要がないから、お金持ちの徳川御三家の分家が、神道の家へ養子に入っても、別に受けを狙った一発芸を大衆向けにする必要はないのだ!
が、かりに神道の家へ浄土宗の徳川御三家の分家の分家の三男坊が養子に入ったとする!
その時にはじめて神道の力が明るみになるのだ!
続く
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