プロレス超人列伝第6回「チャイナ」
現代、ポリコレ時代に適応するために様々な団体が女性レスラーの権利向上のために苦心している。
WWEはアイルランド系女子レスラーのベッキー・リンチをコロナ前までは団体そのものの主人公として位置づけていたが、彼女が妊娠したことでその代わりとして日本人レスラーのアスカを活躍させている。
ライバル団体のTNAに至っては団体トップのヘビー級王座のベルトを女子のテッサ・ブランチャードにとらせていた。
日本ではスターダムがアイドルとプロレスを融合したことで男子プロレスとは別の方向性を生み出すことに成功し、現在に至っている。
(紆余曲折あるが、女子そのものの団体を作ったという点ではアメリカよりも日本プロレス業界のほうがこのポリコレ時代に適応できる可能性が高い。)
しかし、多くの人が忘れているがかつてWWEでその人気を築いた女子レスラーがたった一人いた。
彼女の名前はチャイナ。
1997年に当時躍進を続けていたDジェネレーションXのボディーガードとして彼女は登場した。
女子であるが、男子顔負けの肉体や試合となれば男子であろうとボコボコになぎ倒すその強さ、彼女はDジェネレーションXの正式なメンバーの一人として人気を博していった。
それまでの女子レスラーはせいぜい男子の前座程度の認識であったが、ここで彼女は自らそのものが男子戦線に加わり真正面で戦っていくというスタイルでWWEの看板選手として躍り出る事になった。
この事がきっかけで女子選手そのものに短い間ながら一種の改革が行われ、以降リタやトリッシュ・ストラタスのような試合そのものをちゃんとできる女子レスラーを増やしていくことになっていった。
やがて、1999年には男子選手に交じってロイヤルランブルに出場。
あの180㎏以上あるマーク・ヘンリーを敗退させてしまうという大番狂わせを演じ、観客を興奮させた。
そんな中、私生活ではDジェネレーションXのメンバーであるトリプルHと男女の仲になっていた。
プロレスではよくあることだが、ともにタッグを組んでいた男女同士が身を寄せ合い愛し合う仲になっていたのだ。
やがて、1999年にはジェフ・ジャレットからインターコンチネンタル王座を奪い取るほどの躍進をみせていた。
彼女はこうして名実ともにWWEの屋台船を支えるエース選手となっていったのだ・・・・。
しかし、悲劇は突然起きてしまう。
なんと彼氏のトリプルHは彼女を捨てて団体の会長であったビンス・マクマホンの娘のステファニーとデキてしまうのであった。
これは彼女の心に大きな傷を与えた。
これについては諸説あるが、トリプルHは野心家であったので彼女よりもステファニーのほうが彼の出世に近いと考えたので捨てたのではないかと噂されている。
これがきっかけであったか、定かではないが2001年にチャイナはWWEとの契約更新に応じずそのまま去ってしまっていった。
その後の彼女の人生は混迷の限りを極めていく。
当時暗黒期に差し掛かっていた新日本プロレスに上がり、あの蝶野と試合を行うなど活躍をしていたが、あまり長く続かず一旦プロレスラーとしての活動を休止してしまう。
その後、何を思ったかポルノ女優に転身。
何個か作品を出していたが、もはやこの女優時代になると彼女は全盛期を明らかに過ぎていた。
顔も晴れ上がり、かつての女戦士の面影はなくなっていった。
WWEもファミリー路線に転換をしていたため、ポルノ女優である彼女の特集は敬遠している様子であった。
ある意味クリス・ベノワ以上の黒歴史になってしまったチャイナ。
トリプルHは素晴らしい選手であるが、彼女への仕打ちについては謝罪の一言があったほうがよかったのではないだろうか。
またプロレスを辞めたというわけではなく単発ながらTNAなどの団体に所属していたこともあった。
多彩な人間であったらしく女優やバンドウーマンとしての顔を持っていた。
だが、世間的にはその扱いはかつての勇ましい女戦士ではなく一種の「いじられキャラ」としての扱いであった。
そして、2016年薬物の過剰摂取で46歳という若さでこの世を去ってしまった。
去る直前に、日本人男性と席を入れていたりyoutuberとしての活動をしていたり死ぬ直前まで彼女は生きようとしていたのだ。
しかし、不思議なことに当人が死んでもその後に続くのがプロレスの歴史。
チャイナはDジェネレーションXの一員として2019年に殿堂入りを果たすこととなった。
そして、WWEゲームの最新作であった「WWE2K20」に登場した。
今の時代だからこそ再評価すべきレスラーの一人であるとこの記事を書きながら思うのである。
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