プロレス超人列伝第9回「サイコ・シッド」
プロレスは皆さんもご存知の通り、ガチのケンカではない。基本的には演劇である。
当然役者であるレスラー同士の間での信頼関係や友情などが必要になり、それらがなければ試合としては成立しない。
人望が最後に物を言う世界、それがプロレスだ。
人望などいらん、というのであれば他人を黙らせる技術を持たないといけないあの獣神サンダーライガーがそうであったように。
…しかしながら世の中には全く周囲からの人望はなく技術すら皆無であったが第一線を活躍し続けるレスラーがいた。
彼の名前はサイコ・シッド。
勘のいい御仁ならわかるように彼の名前には「サイコ」がつくのだ。
サイコパスや精神異常者を意味するサイコ、彼がなぜサイコと呼ばれたのかその狂気は後に語らせていただこう。
シッドは身長206㎝体重144㎏という超巨体を持っていた。
テクニックは稚拙であったが、その巨体とパワーはプロレス的には説得力抜群だったのだ。
特に必殺技のパワーボムは観てるだけで痛そうで、映像をみれば問題行動の多かったシッドでも多くの団体が重宝していたのがなんとなくわかってくるものがある。
シッドは1960年に生まれた。
子供のころから野球やソフトボールなどを行い、近所でも有名な札付きの悪ガキで暴れん坊として有名であったそうだ。
しかし、目的もなくダラダラとしていた彼に転機が訪れた。
とあるスポーツジムである男と出会った。
それがあのランディ・サベージであった。
ランディの勧めもあり1987年、アラバマのプロレス団体でデビューをした。
その時のリングネームはなんと「ヒューマンガス」だった。
マッドマックスに出てくる悪の親玉ヒューマンガスそのもののギミックを使っていたのだ。
こ、こえぇ…。
今の時代であれば流石にワーナーやジョージ・ミラーに訴訟を起こされてもおかしくないキャラだが、当時は穏やかな時代であったので特に問題にもならなかったようだ。
その後主戦場をWCWに移し、リングネームを「シッド・ヴィシャス」に変更した。
このころになると新日本にもたびたび参加しながら徐々に名前をあげていった。
その後、世界一のヒールレスラーとして名高いリック・フレアーの「フォー・ホースメン」の一人として加入した。
しかしながら、フレアーをはじめフォー・ホースメンの面々は彼を歓迎していなかった。
まずフレアーは彼の技術面での乏しさを嫌っていた。
こればかりは才能なので仕方ないかもしれない…だが彼には問題があった。
シッドはとんでもないサボり癖があったのだ。
ある日、大事な興行があったがシッドはそれをサボりなんと地元の友人たちと草野球の試合に出ていたのだ。
これに多くの関係者が激怒をした。
特にフレアーは本気でキレたそうだ。
ゴムマットで受け身の練習を取ることから始めるというストイックな気質のあったフレアーからすれば遊び歩き、草野球の試合のために試合を平気でサボることもあるシッドは問題児そのものであった。
やがて、フォー・ホースメンからも冷遇されほとんどWCWからも去ってしまう
しかし、天は彼を見捨てていなかった。
1991年、WWFとビンスマクマホンはWCWからいなくなった彼を引き抜きWWFの選手の一人として加える。
彼の与えられた役割はまさかのベビーフェイス、リングネームは「シッド・ジャスティス」というものであった。
おまけになんとホーガンの相棒というまさかの美味しいポジション付き。
ここまでくればかなり順調であった。
しかし、生まれついての悪童であった彼に善玉はできなかったのだ。
すぐにヒールターンを行い、ホーガンと対戦相手を務める事となった。
そしてそれから2年後の1993年…ケガなどの影響もありWWFを自主退団、シッドは再びWCWに行ってしまう。
しかし、一度問題を起こし抜けていったWCWの中での彼はやはり厳しいものがあった。
そして、同年の秋にイギリス巡業中に「フォー・ホースメン」のアーン・アンダーソンとケンカをしてハサミで突き刺すというまさかの暴行事件を起こしてしまうのであった。
とうとうWCWを追い出された彼は、複数の団体を回りながら2年後にはWWFにまた戻ってきたのであった。
上記の傷害事件のせいでシッドの印象は悪かったが、彼は「サイコシッド」というリングネームに変更を行った
ビンスは彼の生まれついての凶暴さ・凶悪さにほれ込んでいたのか以降は90年代を代表するレスラーとしてアンダーテイカーやショーン・マイケルズ、ブレット・ハートといった大物のライバルとして君臨していた。
その後、世界ヘビー級王座を獲得し名実ともにWWFの頂点に君臨していた。
しかし…1997年彼はそんなWWFからも去っていった。
サイコであったシッドにとってはWWFすらも小さかったのだ。
それから数年間は沈黙していたが、1999年にはWCWにカムバックを果たし2001年まで主力選手として活躍をし続けていた。
そして、2001年彼は足のケガなどを理由にほぼセミリタイアの状態になった。
狂人サイコ・シッドはとうとうその狂乱を止めることとなった。
協調性はなく、技術もない…だが彼には「華」があったのだ。
この「華」こそがプロレスラーに最も必要なもの。
問題は多いが、間違いなく彼は大物プロレスラーの一人としてその歴史に名を遺すだろう。
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