普遍的なもの以外は意味がない

石ころを手に持って離した時に、石ころは地面に落ちる。
これは日本でもアメリカでもアフリカでも落ちるし、1000年前でも1万年前でも、500年後でも地面に落ちるだろう。

こういう時代、地域、国によって変わらないことを『普遍的』と表現する。

日本語は日本国内でしかほぼ通じないし、現代日本語は現代の日本でしか通じない。
1000年前の日本に現代人がタイムスリップしても、おそらく会話は成立しないだろう。
つまり日本語は『現代の』『日本で』しか通用しない普遍的でない言語ということになる。

世の中の物事を、普遍的なものと普遍的でないものに分けてみると、非常に面白い。
なぜなら、世の中の物事のほとんどは普遍的でないもので構成されているからだ。

例えば、占い
占いは最も非合理的で非普遍的なものの1つである。

姓名占いを例に挙げてみよう。
姓名占いとは、名前の画数や漢字などでその人の運命を推し量るものだが、日本の姓名占いは日本人の漢字の氏名に限定されている。
アメリカに行けば名前は当然アルファベットであり、アラビア圏では名前はアラビア語で書かれている。
このような文化圏で日本の画数占いが役に立つだろうか?
当然、役立たない。

また、運気が良いとされている日のことを日本では「大安」というが、アメリカやヨーロッパ、アフリカのカレンダーには大安はない。
つまり、アジアの極一部で信じられているだけのローカルな価値観ということで、普遍性は一切ない。

星座占いも顕著である。
昔の人が星を見て、「この星はライオンに見えるから獅子座にしよう」と適当に決めた、人為的で全く普遍的でない星座を、生まれた月によって配分し、それに基づいて占いを行っている。
これも全くもって合理的で意味のない行為である。
つまり占いというのは基本的に全て意味がなく、信じるのも馬鹿らしい行為なのである。

同様に、法律も全く普遍性のない価値観である。
ウガンダなど同性愛が死刑になる国もある一方で、先進国では同性愛を認め、同性愛の結婚システムも整備されている。

つまり、同性愛に関しては各国の見解が分かれ、また時代によってもその扱いが違う。
同性愛に対する価値観、あるいは認識というものは定まっておらず、全ての価値観は恣意的で普遍的でないということである。

薬物問題も同様で、大◯などはアメリカやカナダ、オランダなどで実質的に合法化されているが、一方でアジア系の国々では非常に厳罰主義であり、日本でも厳しく罰せられる。

こうした薬物に関する問題も普遍的ではなく、ドラッグ=悪いものというのは、ただの1地域1時代の価値観に過ぎないことがわかる。
※ヨーロッパでは薬物中毒=病気という、罰するより治療に重きを置くハームリダクションという考え方が主流である

結婚制度も同様で、1夫1妻制が浸透しているのは現代の価値観であり、人間の数万年の歴史において、それが正しいこと、あるいは合理的な体系であったかは定かではない。

東京在住、身長180cm、年収1000万、資産1億というハイスペックっぽい人でも

東京という極東の日本の島国にいるだけ、
身長180cmは、メートル法で区切りがいいだけ、
年収1000万、資産1億は、日本円で区切りがいいだけ、

と日本のガラパゴスの価値観の中でハイスペックっぽいというだけである。

こう考えてみると、身の回りの普遍的なものというものは非常に少ない。
筆者が普遍的な価値があると思ったものは、金、女、健康くらいである。(健康は概ね誰にでも備わっておりゼロサムゲームではないが、ゼロサムゲームである前者2つを巡っては血みどろの争いが日夜繰り返されている)

普遍的でないものに振り回されず、本質を見抜き行動できるようになりたいものである。

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