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厄年の存在意義

先日、散歩の途中で近所の神社に入ったら、厄年の一覧表が貼ってあるのを見つけました。

それによると、昭和58年生まれの男性は今年が前厄にあたるそうです。

つまり私は今年から3年間ろくなことがないと。

今までの自分だったら「悪いことなんていつでも起こるんだから、厄年なんてくだらんなあ。何でも結びつけられるしな。」と片付けて終わりでした。

今もそう感じることは感じるのですが、せっかくだから何か別の視点がないかなと思い、ちょっと思考を巡らせてみることに。

そこで頭に浮かんだのは、「厄年という概念がないと前向きに生きることが難しかったのでは」という考えでした。

いつ頃から厄年というものがいわれだしたのかは知りませんが、それなりに歴史のあるものでしょう。ネットの情報だと平安時代くらいにはもうあったようです。

ということは、当然今より天災・疫病・凶作などによる生活への影響が段違いに大きく、何か人智を超えたもののせいにしないとやってられないと思う人が多かったことは想像に難くありません。

また、厄年という概念があることで、「厄が明けたらきっといいことが待っている」と前向きに生きる希望が持てただろうとも思います。

生きている限り辛いことや苦しいことは避けられないので、悪いことがあっても「厄年だから」と割り切れるのは、ある意味では幸せなのかもしれません。

非科学的だと言ってしまえばそれまでですが、気の持ちようで前向きに生きられるなら、それもいいかなと。

真剣な表情で手を合わせている他の参拝客を見ながら、そんなことを思いました。

ちなみに私は今年から新しい仕事も始まって、充実した毎日を送っています。さらに長年待ちわびた阪神タイガースの優勝も実現したので、厄年でなかったここ数年よりもはるかに幸せです。

どうか神様、私だけはこのまま見逃してください、なんてね(笑)

今回も駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
ではまた。


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