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兼六園に見た「人間が美を求める理由」

実は私、縁あって今年の4月から株式会社カルペ・ディエム(以下カルペ)というところで働いております。カルペは教育事業や出版事業、メディア運営などを手掛けているのですが、その教育事業の一環として、全国各地の学校で勉強のやり方や楽しさを伝える講演活動があります。

そして先日、石川県にある宝達中学校というところで、なんと私も人生初の講演の機会をいただきました!

こんな丁重に扱っていただき
大変恐縮&ちょっと照れくさい感じでした
お招きいただいた関係者の皆様
ありがとうございました!


で、講演後に時間があったので、人生初の石川県上陸ということもあり、東京に帰る前にあの有名な兼六園に寄ってきました。

17世紀に入って金沢城に面する傾斜地を築庭したところから兼六園の歴史は始まり、歴代の加賀藩主によって整備が進められ、1822年にその名が付けられたそうです。

芭蕉って『奥の細道』で東北のイメージが強いけど
やっぱ日本全国行ってたんだなと思った句碑


私は日本庭園が好きなので、園内をぐるりと回りながらその美しさに惚れ惚れしていたのですが、同時にふと思うことがありました。「何で当時の人はこんな立派な庭園を造ろうと考えたのか」と。

もちろん富や権力の象徴として、という意味合いもあるでしょう。人間の手で自然を支配することを目指した、ヨーロッパの城や宮殿の庭園なんかもそうですよね。

ですが、それだけではない、何か別のものを感じたのです。人間が無意識に美を求めるというような、どこか本能的なものを。

人間の3大欲求は食欲、性欲、睡眠欲ですが、それらに続く様々な人間の本能の中に、美を求める本能があると聞いたことがあります。

また、自然界に黄金比なるものが存在するように、人間が何かを見て美しいと感じる基準にはある程度共通なものがあると知られていたり、美しいと感じるものに囲まれていると人は幸福感が増して健康的になるという実験結果があるというのも何かで見ました。

極端にいえば、庭なんかなくても生きてはいけるし、あったところで別に生活上の問題がない限りは放ったらかしでもいいわけです。ところが、やはりどうしても美を求める本能が働くために、手を入れずにはいられなかったのでしょう。

そして、設計者の類まれなる美的センス、それを実現する匠の技、そして莫大な財力の3つが合わさって奇跡的に実現したのがきっと兼六園だったのだなあと、歩きながらぼんやり考えていました。

有名な観光地って、行ってみると意外と期待外れなことがありますが、個人的には兼六園は満足のいく経験でした。こうなると、3大名園といわれる残りの茨城県の偕楽園、岡山県の後楽園にも行ってみたくなりますね。そっち方面の講演の仕事、どこかからいただけないかなあ…。(他力本願)

はい、すいません。冗談です。
そんな不純な動機は毛頭ございません。

もちろんどこであろうと、依頼があればきちんと真面目にお話しさせていただきます!

それでは、今回はこの辺で。毎度の駄文にお付き合いいただきありがとうございました。







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